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2013-07-30

千葉サッポロビール園交流会

工場直送生ビールは旨い


 日本は暑い夏です。2013年7月18日は千葉サッポロビール園に暑気払い交流会がありました。この企画は私が以前に勤めていた日本生協連の退職者友の会の呼びかけで行われ36名が参加しました。
 会場はJR津田沼駅からバスで30分ほど。東京湾の海沿いのビール工場でつくられた鮮度の良い生ビールを工場隣接の食事会場で美味しくいただき、焼肉ジンギスカンなども楽しんで来ました。



千葉サッポロビール園入口

 私はこのサッポロビール千葉工場を、これまでにふるさと会(東京なよろ会)の工場見学活動で何度か訪ねたことがありました。そのときは工場見学をさせていただいてから、出来立てのビールを賞味する企画でふるさと会メンバーにもとても人気がありました。
 
 しかし、2011年3月11日の東日本大震災でこのビール工場全体がおおきな被害を受け、その後しばらくの間、工場見学などは中止になっていたと思います。今回、ビール工場の見学が復活しており、交流の場となったビール園も大いににぎわっていて、企業の力強さを感じながら参加メンバーとの話も弾みました。
 
暑い日本の夏と力強く復活したビール工場に乾杯!

2013-07-29

ベランダのあさがおと入谷朝顔市

入谷の朝顔市①
入谷の朝顔市②
今年の7月7日、七夕の日は関東地方は猛暑の日でした。私は「入谷朝顔まつり」に出掛けて朝顔を一鉢入手しました。その際、「旦那、少なくとも3週間はきちんと水をやって手入れしてくださいね」と言われて、「はいはいと大事にします」と返してから、3週間が経過しました。



ベランダの朝顔
近くの公園
本日は7月29日です。日本の夏はほんとうに暑いですね。我が家のベランダの朝顔は何とか細々と花を咲かせています。特に本日は朝から雨模様で草花も少しだけしのぎ易いのか、朝顔も元気な気がします。午後にはようやく、雨が上がりました。近くの公園まで散歩に出かけようと思います。

2013-07-28

私の故郷とはー名寄市を想う

 
昔私の父親が勤めていた駅舎
ゴルフツアーメンバーと名寄市民の交流会


私は6月末に北海道の名寄市を訪ねました。この街唯一ある名寄白樺カントリークラブに在京のメンバー約30人とともにゴルフツアーに訪れたのです。




 人口は約3万人。四方を山に囲まれた盆地です。11月ー4月は雪がのこり、寒いときはマイナス30度以下になることもあり、7-8月はプラス30度を超えることもあります。つまり寒暖の差は60度にもなる自然条件の厳しいところです。
 
交流会は屋外でのジンギスカン料理
昔のクロバ-(雪印)牛乳工場址


そして、6月は概してさわやかな時期で木々の若芽が柔らかく周囲を包む季節です。この街は私が中学生、高校生の6年間を過ごした地方都市です。私の中では「ふるさと」との思いがあります。

 

 ところが私が生まれたのは北海道の豊富町です。名寄市よりさらに北に位置して、稚内市の近くです。ここには4歳まで住んでいました。その後、名寄市のすぐ南側に位置する剣淵町に移り住みました。4歳から12歳までの9年間です。大学生活は札幌市で7年間を過ごしました。これらの北海道の街々はそれぞれに特色があるのですが、「ふるさと」を実感するのが中学・高校という多感な時代を過ごした街ということになるのでしょうか?冷静に考えると「ふるさと」はかなり主観的な勝手な想いということにもなりかねないところがありますネ。

 いずれにしろこの名寄市は64歳の私にとって、近い親族は誰もすんでいない、昔住んでいた家も跡形もなくなってしまい、かろうじてかっての同級生たちが住んでいる街ということになります。それでも、ここを訪ねると懐かしさを覚え、気持ちが安らぎます。「ふるさと」って不思議な力を持っているものですね。



2013-07-16

母(87歳)の参議院選挙期日前投票

 

日本は今、参議院選挙の真っただ中です。本日は私の母(現在87歳)が期日前投票に出掛けて先ほど無事に投票を終えて、自宅まで戻りました。大正15年生まれの私の母は昨年秋に転倒して右脚骨折し、手術、リハビリと半年間の病院生活を経験し、この春に、退院までこぎつけました。今回の期日前投票は退院後の大きな出来事で、無事に投票を終えて少しだけホットしている様子でした。付き添いの私も母が期日前投票所まで歩いて行けたことに喜んでいます。 


 
 この7月16日は自民党総裁の安倍晋三首相が東京宇田川町の渋谷区役所を訪れ、21日投開票予定の参議院選挙の不在者投票を行ったことが報道されています。首相はこの後、記者団に「与党で過半数を勝ち取り、政治の安定の中で政治を前に進めていきたいという願いを込め、一票を投じた」と述べたそうです。

 私の老母の一票も首相の一票も価値は同じということですが、投票所までの道すがら、付き添いの私に母が話した言葉のいくつかが印象に残りました。一つは「戦争中も戦後すぐの時期も大変だった。特に食べ物がなかった。あんな思いは二度とごめんだね」、そして「私らが投票出来るようになったのは戦争後のことさ、投票できるのはありがたいことだよ」

 付き添いの私も7月21日は予定が入っているので、本日、期日前投票を済ませました。日本国憲法のこと、原子力発電所や核廃棄物のこと、社会福祉政策のことなどを考えて、比例区と選挙区のそれぞれ一票を投じてきました。宝の一票です。政治は誰のために行なわれるべきなのか、きちんと見極めたうえで歴史ある政党と候補を選びました。