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2015-01-27

北海道ふるさと会連合会新年交礼会

(北海道ふるさと会連合会新年交礼会)
(北海道地名かるた)
1月17日に東京なよろ会の役員として北海道ふるさと会連合会新年交礼会に参加した。会場は明治記念館、北海道ゆかりのふるさと会61団体と協力企業関係者約200人が参加した。

その場で北海道地名かるたを入手した。私のふるさと名寄市は「サンピラー 零下二十度 名寄の冬」との絵札だった。確かに私の子供の頃はマイナス30度を経験した覚えがある。しかし、私自身はこのサンピラー現象は未経験のまま、ふるさとを離れた。説明を読むと実に素晴らしい自然現象だということが理解できる。現在、東京なよろ会のスキーツアーが関東から名寄市のピヤシリゲレンデを訪問中であり、幸運に恵まれるとこのサンピラー現象に巡り合えるかも知れない。
<冬の寒さが厳しい朝、澄んだ空気の中をダイヤモンドダストがきらきらと舞う。氷晶たちが太陽の光に反射し、大きな光柱(sun pillar)を作り出す。天候や条件により、名寄の雪原に突如現れる神秘的な自然現象。>

2015-01-24

悠々楽山会で高水三山へ

(関東の山景色)
(岩茸石山)
2015年度の第一回山会は1月14日の東京都高水三山(793m)でした。前日までの冷たい雨、北海道や日本海側の雪にも関わらず、今回の山会は晴れに恵まれました。軍畑駅から高水山、岩茸石山、惣岳山と三つの頂きを越えて、御嶽駅に降りるコースでした。私のような初心者にはややきつい道でしたが、何とか歩くことが出来ました。
(山頂昼食会)
(関東の冬山道)

いつものように山頂の楽しい昼食会、下山後は河辺駅で途中下車、温泉と新年会を楽しみました。
体調が許せばこうした運動はとても良い気分転換になります。今年も頑張ろうとの思いです。

2015-01-23

20年目の父の命日

(父の写真)
私の父である故藤原貞吉は屯田兵の子どもとして大正14年(1925年)8月1日に北海道に生まれ、平成7年(1995年)1月12日に北海道名寄市で亡くなりました。69年の生涯を北海道内で終始しました。

この1995年1月は忘れがたい年です。今から20年前、私は東京で仕事をしていたのですが、父の死を迎えて、喪主として田舎の実家に戻り、葬儀やら実家に一人となった母の今後のことなど親戚との相談もしていました。その最中に阪神・淡路大震災が発生したのです。



1月17日は北海道名寄市に滞在していて、テレビ報道で阪神・淡路大震災を知りました。報道によって「これは大変なことになった」と思いました。当時、私は日本生活協同組合連合会に勤めていましたので、急いで東京に戻り、広報担当としての仕事に復帰したのです。比較的早い時期にコープこうべを通じて、神戸を訪れる機会も得ました。

私には20年前の一月の記憶として神戸市内の崩壊した建物跡や残された電柱や建造物が傾いている心をざわつかす光景があり、そして父の命日とその後の葬儀での北海道名寄市の雪景色があるのです。これらは40代半ばの私の転機となった出来事でした。

2015-01-12

大正15年生まれの誕生日

(89歳誕生日の母)
私の母は大正15年の1月5日生まれということで平成27年1月5日に89歳となりました。その日は前日に故障した母のガスレンジを午前中に新品に取り換えました。15時頃にトルコ桔梗とスイートピーの生花や苺のショートケーキを持って、同じマンション内の母の部屋を訪ね、そこでコーヒーを入れてもらってプチお祝い会をしました。

母は2年前に転倒して右足を骨折し、入院中に大腸がんが見つかって3回の手術を行いました。現在もリハビリを継続中ですが、日常生活をなんとかこなし、今年も無事に誕生祝いが出来たことは家族にとっても嬉しいことです。

母は20歳までの最も多感な時代を、大日本帝国の戦争とともに過ごさざるを得ませんでした。北海道で生まれ、育ちましたが、戦前の時代について良く私に話してくれます。私が安倍政権の「集団的自衛権の閣議決定」に重大な疑義を持つのは、戦争中の庶民のくらしぶりについて想像力を持つことが出来ているからです。身内の話だけでなく、私の親世代の残している様々な記録、記憶についてもしっかり引き継がなければと思います。


2015-01-03

埼玉県から見る初春の富士山

(夕方の富士山)
(初春の富士山)
初春は北海道や日本海側などから雪の被害も聞こえてくるのに、ここ関東地方(埼玉県)は穏やかな日々が続いています。私は二日の初夢を見なかったが、最近の習慣となっている自宅ドア前からの富士山を眺めて満足することにしました。



(栃木県男体山)
私は北海道から就職を機会に関東地方に暮らして40年以上になりました。この埼玉県にも通算で20年ほど住んでいます。働いていたときは富士山のことや関東の山並みを意識することはほとんどなかったのですが、定年退職後に関東の山並みを美しいと感じるようになりました。昨年は12月に栃木県の鷹ゴルフ倶楽部から眺めた男体山がとても良いと感じたのです。おそらく、この関東地方に骨を埋めることになるのかなという感慨と関連しているのではと推測しています。
私は今66歳、これまでのままに戦争をしない日本国に生きて死んでいきたいと切に思います。