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2013-12-03

房総の久留里城址と故郷名寄ゆかりの絵画

久留里城址から
天守閣址
私は11月末に千葉県房総半島への小旅行を行い、深まる秋の気配を満喫しました。房総へは妻の出身地が大多喜町であることなどから、これまでたびたび訪れる機会がありましたが、君津市久留里にある上総久留里城址は初めての訪問でした。
15世紀の戦国時代からの歴史を重ねてきた関東地方の名城の址は急坂を上ってようやくたどり着く、堅固な守りの城だった様子です。城への上り口には登攀用の杖が用意されており、体力に自信のない私はそれを使わせていただきました。


久留里城址資料館で、私は故郷名寄市の出身者である画家の絵画を見つけました。1917年に北海道名寄市で生まれた故・田中稔さんは独立美術協会や道展などで活躍され、1984年に千葉県の袖ヶ浦に転居された縁からか、故人及び遺族のご厚意からご自分の絵を君津市に寄贈されていました。インターネット検索で調べたところ、故郷名寄市近辺で発行されている「名寄新聞」の題字もこの田中稔さんが書いたことなどが判りました。こんなことから私は千葉県の房総半島と故郷名寄市との不思議な縁を感じてしまいました。

2013-11-20

屯田兵の開拓した故郷名寄、東京なよろ会での活動

名寄市加藤市長
MMCATの演奏
2013年11月10日に東京千代田区のアルカディア市ヶ谷にて「東京なよろ会総会・懇親会」が開催されました。この会は『会員相互の親睦・交流・情報の交換を図るとともに、その共通する郷土愛のもとに、名寄市の繁栄に寄与することを目的とする』としています。


この会員は東京都とその周辺地域に居住する名寄市出身者やかって名寄市に住んだことがあったり、名寄市にゆかりのある者とされ約500人規模の会員で構成されています。私はこの会の事務局を担っています。冬のスキーツアー(200名規模/年)や夏のゴルフツアー(40名規模/年)などの地元訪問活動に加え節目ごとの記念誌や地元への記念植樹(桜)、東京杉並区との連携を柱にしたふる里産品(アスパラガス、とうもろこし、ひまわり油、もち米・うるち米、ジンギスカンなど)の紹介援助の取組など多彩なボランティア活動になっています。

私は北海道の豊富町で生まれました。1948年のことです。4歳の時から北海道剣淵町、12歳から北海道名寄市、18歳から北海道札幌市に住みました。そして、25歳で就職のために東京都中野区中野に移り住み、それ以来、関東周辺の渋谷区代々木、埼玉県大宮市、千葉県市川市、埼玉県浦和市、埼玉県川口市と65年間で10ケ所の地域に住みました。最も長期間の居住体験は埼玉県川口市の30年間となっています。

このような経過で何故、名寄市という北海道の片田舎の町を「ふるさと」と感じているのか、自分でも不思議なことと思いますが、多分、中学生~高校生という多感な時代を過ごしたからではと推測しています。もう一つは自分の4世代前の先祖が名寄に入植したからかも知れません。亡くなった私の爺さんばあさんから少しだけ屯田兵のいた時代の名寄について聞いたことがあります。

しかし、私がこのような気持ちで参加している「東京なよろ会」という故郷を思いつなぐ活動も会員の高齢化はどんどん進みます。一回り若い世代に何とかバトンタッチしていかなければと思います。


2013-11-19

トルコ大使館のエルトゥールル号展

トルコ大使館
展示会場
トルコの人々は親日家が多いと聞きます。その理由の一つに今から百年以上昔(1890年)に起こった海難事故に際して、明治時代の日本人の示した親身な対応ぶりが語り継がれているからとの説があります。




エッサンさん(左)
私の南アフリカケープタウン在住時の友達、トルコ人のエッサンさんはメルシンの出身で日本の和歌山県串本町のことを知っていました。確かにトルコのエルトゥールル号の海難事故から120年目の年に慰霊式典がメルシンであり、現地に日本から和歌山県や串本町の関係者が参列した事実がありました。
今回、原宿にあるトルコ大使館にて「エルトゥールル号展」が開催され、私もそこに出かけてみました。大使館は渋谷区神宮前の一等地にあり、たいそう立派な建物でした。大使公邸の一部を使って明治時代の遺品や写真、海難船から引き揚げられた物品など貴重な品々が展示されていました。私はこの展示についての感想をトルコのメルシンに住んでいるエッサンさんに伝える予定です。
竹下通り

さて、久しぶりに原宿を訪ねたので竹下通りや原宿通りを散歩してみました。30年以上前ですが代々木の明治通り沿いの建物で働いていましたので、原宿にも若干の土地勘があるつもりでしたが、全く別物の得体の知れない街並みに変化していました。今は昔の感があります。






シェフお任せサラダ

メインのサワラ
しかし、たまたま入ったイタリアレストランが大当たりでとてもおいしい昼食をとることが出来ました。こんな日は定年後の年金生活の良さを少しばかり感ずることが出来ます。

2013-11-18

久しぶりの築地市場での寿司

築地の人込み
神楽寿司
2013年11月16日は朝から電車に乗って久しぶりに築地市場を訪れました。土曜日ということもあってかとてもすごい人出がありました。ここへは10数年前に身内の海外赴任の準備で、包丁や鰹節削り器などを購入しに来て以来の訪問です。



寿司昼限定サービス
赤酢のシャリ

今回はズバリ築地の寿司を楽しみたいと思いました。事前準備で築地場内&場外全店MAP付きの「築地を極める!2014」などのグルメ本なども購入して行きたいお店を選びました。しかし、実際に現地を訪ねると場内の目星をつけたお店は昼食時に観光客などが長い行列をなしていました。そこで空席のあった場外の「つきぢ神楽寿司本店」に入りました。




ここの寿司は赤酢のシャリが特徴でとても気に入りました。やはり日本の寿司は築地で食べるのも気合が入って良いものです。豊富なネタと赤シャリなど海外ではなかなか味わえないと思います。
この日は出来るだけ歩くことを心がけて自宅から南浦和駅、有楽町から築地などと頑張って19,195歩となりました。

2013-11-14

「ふっかけ」も舞う日光東照宮の紅葉

日光山輪王寺
2013年11月13日は今年初めての紅葉狩に日光東照宮へ行きました。この日は気温が下がり、木々の紅葉に「ふっかけ」(栃木県の方言で風花のこと)が舞う景色が味わい深いものでした。

私には久しぶりの日光東照宮でしたが、往きは春日部から「きぬ号」で復りは東武日光から「日光号」に乗っての贅沢な旅となりました。そして「世界遺産めぐり手形」というバス乗り放題切符を活用して観光したのですが、万歩計の歩数は16,849歩となりました。



御宝塔への上り口
石段
日光東照宮めぐりは石段を踏んで歩くことが必須のため、右ひざが少々痛かった私には大変でした。「ねむり猫」の彫り物を経て、家康公の墓(御宝塔)まで200段以上の登りがあり、先にのぼり切った孫(4歳)から「ジジ・ババ速くおいで」と叫ばれてしまいました。

若いころ訪ねた日光とはまた違う良さを味わって、紅葉狩と世界遺産を堪能しました。











2013-11-11

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の「継承センターの基本構想」

東京・主婦会館プラザエフ2013.11.2


2013年11月2日に私は「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の「『継承センターの基本構想』実現をめざすつどい」に参加しました。この20文字の長い名称の会に、私は元の職場の上司だった伊藤和久さんが定年退職後に取り組んだことから関心をもち始めて、2011年12月の設立から参加しています。この日のつどいでは会の行なおうとする事業の中でも柱となる「継承センター」の基本構想が論議されました。



東京・主婦会館プラザエフ2013.11.2
私はこの日の基調講演を行った一橋大学名誉教授の濱谷正晴さんの話を聞くことができてとても良かったと思っています。継承センターは「被爆者たちによる原爆とのたたかい(運動)を人類のあゆみ・歴史に刻むアーカイブスである」との趣旨を様々な言葉から説明してくださいました。

私は北海道の生まれということもあってか、成人に達するまでは周辺になかなかヒバクシャの方は現れずということでしたが、私の元の職場、日本生協連の元・会長竹本成德さんが広島で被爆された話を聞き、書かれた本(最後のトマト)を読んではじめて実感をもってヒバクシャのことを考えることが出来ました。

ヒバクシャの皆さんに残された時間は本当に少なくなってきていると思います。確かに「原爆のことを自らの体験として語れる=被爆者の声が直接聞ける可能性は、とみに狭まりつつあるのである」と思います。「”センター”に行けば(インターネットでアクセスすれば)、被爆者(死者をふくむ)に出逢うことができる」とのフレーズは私に勇気を与えてくれます。今後も注目していきます。

2013-11-06

オレオレ詐欺?に遭遇

朝顔
年金生活ともなると昼間から自宅電話に様々な連絡が入ります。投資勧誘、新商品案内、間違い電話など昨年までは日中自宅にいることはほとんどなかったため経験することの無かった内容です。知らない人々からの電話が意外に多いのに驚いてしまいます。
さて過日とんでもない電話がありました。名古屋に在住する私の息子の名前を語ったオレオレ詐欺に遭遇してしまったのです。

内容は以下のものです。
①息子の名前を名乗りました。地域も明らかにしました。
②その日突然に喉の調子がおかしくなり、近くの街医者に行ったところ、大病院での精査が必要と言われた。
③明日は大学の病院に行って診てもらうが手術になるかもとの話です。
そこまでは私はすっかり騙されていました。電話の声が息子の声とは全く異なっていたのですが、「喉の手術が必要かも」とのフレーズに引っかかってしまったのです。
④私は心配になり、共働きの息子の嫁の名前を出して、翌日の手術の付き添いは可能なのかと尋ねました。
⑤ところが、息子の嫁の名前を出した途端に電話は一方的に切られてしまいました。
⑥不審に思って息子の携帯電話に連絡したところ、風邪気味で喉の調子が悪いが、病院に行くほどのものではないと大笑いされてしまいました。

私は全国消費者団体連絡会で働いた経験があり、現在も埼玉消費者被害をなくす会、消費者機構日本の個人会員として、この手の消費者詐欺被害には重大な関心を寄せているのですが、危うく被害者の仲間入りもあったかと肝を冷やしました。

正直に言って、すっかり相手の話に乗ってしまっていたのです。たまたま彼らの応対マニュアルにないやり取りが発生して一方的に電話を切られただけと思います。埼玉県内の振り込め詐欺被害は平成24年度に490件11億5486万円、平成25年度1月~6月で303件8億1402万円と深刻な状況にあります。(埼玉県HPより)

この経験から言えることは詐欺集団の手口は実に巧妙だということです。様々なバリエーションを持ち、ほとんど無差別的に電話をかけてきていると思います。消費者はこの現実に気づく必要があると思います。そして彼らの巧妙な手口についても学ばなければ痛い目にあってしまいそうです。本当に消費者同士が注意喚起しなければと思いました。

2013-11-05

大恐竜展ーゴビ砂漠の驚異を楽しむ

上野公園内の看板
賑わう上野公園
上野にある国立科学博物館は常設展示館の面白さは勿論のことですが、都度開催される恐竜関連の特別展示会は子供たちにも人気が高く、多数の来館者があると言います。我が家にも恐竜大好きの孫がいることから、11月1日に「大恐竜展ーゴビ砂漠の驚異」に行きました。


タルボザウルスの骨格標本
大きな復元画
今回展示の目玉はモンゴルのゴビ砂漠で発掘されてきた重要標本を数多くの実物化石として展示していることです。そして北米で有名なチラノサウルスと近縁のターボサウルス全身骨格が展示され、約7000万年前の時代を推定した動画が上映されていました。


 就学前の子供たちは骨格展示に興味を示しますが、それ以上に動画に興味津々でした。それよりも少し年齢が上のお兄さん、お姉さんはiPadを活用した展示館案内をすっかり受け入れている様子でした。彼らが高齢者の私などよりはるかに柔軟に、ゴビ砂漠と恐竜たちを楽しんでいることに驚きました。当たり前のことですが時代は変化していると思いました。

2013-11-01

岩波ホールと第54回神田古本まつり

混みあう神保町の古本屋街
神保町
年金生活者になって何か得した感があるのが、平日の9:00~17:00の時間帯がフリーであることです。神保町の岩波ホールで映画を見て、その前後に神田古本屋街を散策したり、岩波書店で本を購入したり、手打ちそばの満留賀静邨で昼食をいただいたりなどしますと私には何かと満足出来る一日となります。

岩波ホールミニシアターの入場券
静邨の手打ち蕎麦
10月の26日~11月4日は東京名物神田古本まつりが開催されています。岩波ホールでは26日から「ハンナ・アーレント」の上映開始ということから土曜・日曜は避けて月曜日の平日に出かけました。しかし、古本まつりは大変な賑わい振りで歩道は人込みで真直ぐには歩けない状況でした。

私が10月19日の高野悦子追悼上映で見た「ローザー・ルクセンブルグ」はドイツやロシアでの「革命」や「政治」についてとても考えさせられる内容でした。この映画の監督マルガレーテ・フォン・トロッタは最近作「ハンナ・アーレント」を完成させ、すでにいくつかの映画賞を受賞しています。そして、10月28日月曜日は平日にも関わらず14:30上映開始分が昼過ぎには席がなくなるという盛況ぶりでした。

この2作品は私にとって興味深く、登場人物の幾人かの名前について、映画の内容と照らし合わせてインターネットや本で調べました。覚えていたはずの歴史上のことがらが「曖昧にしか理解できていなっかった」ことが判りました。良い映画は本当に内容が刺激的です。

2013-10-30

原発さよならデモ@埼玉に参加

デモ行進の前列部分
行進前の集会へ
10月27日の「原発さよならデモ@埼玉3rd」に参加しました。以前に安倍首相は東京オリンピック誘致に関連して「福島の原発は完全にコントロールされている」との発言をしましたが、私は福島原発の汚染水処理や廃炉に向けた作業はほとんどコントロールされていないとの疑念を持っています。また、福島に留まらず日本各地の原子力発電で使用された核燃料の生成物は最終的な処理の展望のないまま、一時的に貯められたままであると考えています。そしてこれは私たちの子孫に対して重大なツケをまわすことに他ならないと思います。
 
デモ行進と青空
川口の原発さよならデモ@埼玉は今回が3度目の試みと聞きました。デモ行進の参加者は220名、私は今回初めて参加してみました。会場に出向くと私の囲碁仲間に声をかけられて驚きました。約2kmのデモコースを30分ほどかけて行進しました。久しぶりのデモ行進参加でしたが、驚いたことの一つが日曜日にも関わらず警官が多数交通整備で対応していたことです。もう一つはデモ行進が物珍しいのか、沿道のビル群のまど窓から何組もの家族が顔を向けていたことです。

毎週金曜日に行われている首都東京での「原発に反対する」国会周辺集会・デモの参加者がここ川口でも出発集会で連帯のメッセージを発言しました。さらに、デモ行進中のシュプレヒコールも経験を生かしてソフトな口調で発声を繰り返していました。この日の経験は昔ながらのデモ行進しかしらない私にとってかなりイメージチェンジを迫るものでした。

2013-10-29

囲碁同好会(秋の秩父路、小鹿野への旅)

 
囲碁対局
表彰式
私の元の職場の囲碁同好会では例年、秋口に秩父の小鹿野にある越後屋旅館で一泊合宿を行います。参加資格は唯一囲碁好きであること、今年も10月24日-25日に9名が集まって到着日の午後から翌日の午後の出発まで囲碁打ち放題の至福を味わうことが出来ました。
 


宴会
昼食の手打ち蕎麦
囲碁に加えて、食事と温泉の楽しさを存分に味わいました。夕方に一風呂浴びてから、秩父の地元の食材を中心にした家庭料理をいただきました。ことに名物のイワナの骨酒は素晴らしい味わいでした。翌日の昼食は秩父の手打ち蕎麦です。味わい深い一品でした。実に至れり尽くせりの内容で満足しました。

越後屋旅館入口
囲碁というゲームの良いところは上手下手はあっても、置き石のルールを適用して、棋力の違う者も対等に勝負を楽しむことができることです。今回は総当たり戦で楽しみました。私は昨年一年間は海外在住(南アフリカ共和国のケープタウン)でしたので、その期間は一度も囲碁対局を行う機会がありませんでした。しかし、何が幸いしたのか今回の合宿は6勝1敗で優勝となりました。優勝賞品は秩父屋旅館の向かいにある秩父の老舗店舗太田甘池堂の「古代秩父煉り羊羹」でした。

2013-10-28

根津・千駄木から神田神保町の27000歩

根津神社にて
夏目漱石旧邸と猫
「第15回根津・千駄木下町まつり」のフレーズに惹かれて東京都文京区周辺を訪ねました。10月19日は「第6回根津商店会まつり」も重なり、賑わいを見せていました。

 この地域は昔ながらの街並みが残り、ひたすら歩くだけでも明治・大正・昭和の日本の雰囲気が味わえる気がしました。夏目漱石、森鴎外、青鞜社などのゆかりの地や根津神社をなどを巡りました。




根津・千駄木の街並み
根津・千駄木の街並み
その後、上野公園、上野駅、御徒町、神田神保町と歩いて、岩波ホールで高野悦子追悼上映中の映画「ローザ・ルクセンブルグ」を見ました。 
 これらの場所を主に歩いて移動したので、私の万歩計は27000歩を突破しました。深まる秋の一日でしたが、時間が自由な年金生活者の贅沢な一日となりました。
「下町祭り」はお年寄りも子供たちも楽しそうというのがこの感想です。

2013-10-27

名寄高校第19期同期会開催(2013.10.12札幌市にて)

 
名寄高校19期同期会(2013.10.12)
私は昭和39年4月に北海道の上川郡にある名寄高校(19期)に入学し、42年3月に卒業しました。それから46年間の歳月を経て、札幌の地で開催された同期会に参加しました。同期は300名以上いたと思いますが、そのうち40数人が集まり、団塊世代のパワーを発揮した賑やかな集まりとなりました。

 皆さん、程よく年齢を重ねて、頭に白い髪も目立つようになっていました。最初は誰だか思い出せなくても、名札を頼りに話してみると次々と高校時代の思い出がよみがえり、凡そ半世紀にもなる昔の面影をしっかりと思い出すことが出来ました。

 
私も一言(19期同期会)
皆さんのコメントを来ていると、もうすっかり引退して年金生活を楽しんでいる人や毎日忙しく仕事を続けている人がいて、それぞれでしたが、「ともに良く昭和と平成の荒波を乗り越えてきた」との共通の感慨を持っておられました。

 当時若手であった数学教師のSさんも道北の旭川から駆けつけて、同期の交流の輪に参加していただきました。年月を重ねるのが如何に速くても、高校時代にその片鱗が現れていたと実感させられた一夜でした。64~65歳にもなって、一次会、二次会、三次会と話題を広げる力は並みのものではないと思います。こうしたパワーで子供や孫の世代にも戦争のない、豊かな、良き日本を引き継いで行きたいと思いました。

2013-10-10

健康維持のためにその3(人間ドッグー定期健康診断)

 
埼玉協同病院(2012年9月)
55歳からは毎年1回実施してきた人間ドッグでしたが、昨年64歳の時は南アフリカ共和国のケープタウンに住んでいたため、南ア駐在医による簡易版の定期検診をもって人間ドッグに代替えしていました。元の職場の健保組合を引退後二年間に限り継続できるのですが、今回の人間ドッグは企業健保組合が受診費用を一部負担する最後の機会となりました。
 
 電話で相談したところ健保組合で指定されている病院をまず選び、日程を相談して、決定してから人間ドッグの受診申込書を健保組合に提出し、その後当該病院からの受診案内を受け取るようにとのことでした。そのために一昨年まで8年間に渡りお世話になった東京都内の指定医院を変更して、引退後の現住所の近くで病院を選ぶことからはじめました。結果的に埼玉協同病院にお世話になることとし、10月7日に半日かけて人間ドッグのいくつかの検査項目を診てもらいました。結果を得るにはさらに時間がかかります。

 これまでは様々な手続きの面倒は会社が準備してくれましたので、さほど感じてはいませんでしたが、実際はなかなかの手間がかかることでした。また、今回の医療費自己負担分は1万1千円と決して安価ではありませんでした。健康維持のためにはとりあえず運動したり、散歩したりと費用はさほどかからないのですが、医療が介在するとたちまち負担額が跳ね上がります。健康維持のためには手間とお金が必要と実感した次第です。

2013-10-09

健康維持のためにその2(調整池の一周1.5kmコース)

 
調整池のコース
私は毎日一万歩を目指して常に万歩計を携帯しています。50代の頃から身に着けています。埼玉県川口市から昔の職場の東京(渋谷/四ツ谷)まで通勤して、仕事をこなしている頃は一万歩はそれほど苦労しなくても達成出来ていました。ところが、定年引退とともに一万歩は決して楽ではないと思う様になりました。何故なら、意識的に歩かないと機械計測の歩数が四千とか五千歩に留まってしまうからです。そこで自宅近くの調整池を利用して歩数を伸ばすようにしています。

 


カンナ(2013年9月)
キノコ/名前不明(2013年9月)
この調整池公園は一周1.5kmですので、朝のうちに二周しておくとおよそ五千歩になります。春の桜から夏の夏草、秋のススキと周囲の景色は四季折々に変化して飽きることがありません。夕方から日没にかけても空の色に変化があります。楽しみは歩くことだけでないことにも気づきます。

満月(2013年9月)
散歩をベースにして、さらに週に何回かスポーツジムに通って、約1kmの水中歩行やスポーツジムに備え付けのウオーキングマシンを使っての歩行を取り組んでいます。あまり運動が好きでない60代はこうして意識的に歩かないとついつい一万歩が未達成になってしまいます。義務ではないけれど体調維持のための運動はとても大切なことですね。この調整池散歩コースには朝5時ごろから老若男女が多数押しかけてきて整然と歩いたり、走ったりしています。夜も歩く人走る人が何人かいます。こんなことが当たり前に出来る日本はなかなか安全・安心な国だと思います。

2013-10-07

健康維持のために(東日本大震災復興支援第6回きらり川口ツーデーマーチ参加)

 65歳にもなると個人レベルの体調管理は優先順位の高い項目になります。超高齢社会日本の最重要課題の一つと言えると思います。 ところが定年引退となり運動に費やす時間は数多くあるのに、現実は精々一万歩を目指した散歩、スポーツジムでのマシーンを使った運動など新鮮味の乏しい取り組みになってしまいます。
 
戸塚中台公園

 
興禅院の彼岸花
今回はたまたま散歩中に見つけた町内会の掲示板に「きらり川口ツーデーマーチ」のお知らせが貼り付けてあり、インターネットで検索すると誰でも参加できる参加型の企画となっていました。
 参加費500円/日を事前に振り込んで川口市内の10kmコースをウオーキングするというものです。

赤山城址

10kmゴール
東川口の戸塚中台公園を9月29日9:30に出発し、緑豊かな竹林や真っ赤な彼岸花の群生地、西福寺三重塔、赤山城址、興禅院などの史跡を縫って歩き、途中の花と緑の振興センタ-中継点では「すいとん」が振る舞われました。川口市に30年以上住んでいながら、全く知ることの無かった道筋に感動しながら、約2時間のウオーキングに心地よい汗をかくことが出来ました。

 

 このような取り組みは全国各地であるとのこと、参加者のゼッケンを見ると埼玉県内に留まらず首都圏の各県や関西方面からのものもありました。6km、20km、30km」のコースもあって全国から2日間の取組で4千人もの参加者になったとか、「東日本大震災復興支援や川口市制施行80周年」などのサブタイトルが少し大仰と感じましたが、私も気持ちよく散歩することが出来て大満足でした。大会を支えてくれた下支えのボランティアの皆さんどうもありがとう。