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2013-08-30

反戦や平和を語ること

 日本のこの夏の暑さにはたまげてしまいます。私は8月1日に65歳となりめでたく高齢者の仲間入りを果たしました。少しばかり夏バテ状態に陥ったのか、「藤原一也の言いたいこと」は約一カ月の夏休みとなってしまいました。

 ブログというのは不思議なものです、自分が書き込まないと他の皆さんのブログに足を運ぶ機会も遠のいてしまいます。そしてフェイスブックの友達メールの書き込みを流し見して、何か情報を得たような気持ちになっています。

 さて、日本のこの8月はヒロシマ、ナガサキ、終戦記念日と続いて戦後68年目の今を考える様々な企画があり、マスコミ媒体を通じても膨大な情報が流されました。私は第二次世界大戦の終了後に生まれました。直接の戦争体験はありませんが、いくつかの反戦や平和をテーマにした番組や記事には自分なりの視点からそれぞれに反応出来ました。

 反戦や平和に反応する力はこれまでの読書や議論で自分自身が培ってきたものですが、その原動力になったと思われるのは戦争を体験した私の親や祖父・祖母世代からの直接の「語り」です。

 
本の表紙
私の父親、貞吉は昭和20年の終戦の年には20歳でした。私の子供の頃、丸いちゃぶ台の食卓では戦地には行かなかったが、国内での戦闘準備の様子をしばしば語りました。
 また、母親、玲子は終戦の年には20歳でしたが、北海道の女学校時代や代用教員としての経験を語りました。
 また、昭和12年に22歳だった私の義父、石塚幸市は「支那事変従軍日誌」として国外での従軍と戦闘の体験を書き記しるしました。
 身近な人々からの戦争体験は「切実な語り」として私の記憶に残っています。
 翻って私は自分の子供たち世代にどのように戦争を語ったのかが問われると思います。もっと率直な実感の持てる、判りやすい話が求められていると思います。そのためには私たち団塊世代が直接体験し、学校教育の場でも大いに取り上げられた「日本国憲法」の話が最も無理なく語れる物語ではないだろうかと思います。 

 


2013-08-01

65歳の誕生日にネルソン・マンデラさんを想う

 ネルソン・マンデラさんが「危篤ながら容態は安定している」と6月末時点でズマ大統領の発言があり、彼の95歳の誕生日7月18日を生きて迎えることが出来ました。7月17日にパン・ギムン事務総長は国連のネルソン・マンデラ国際デーにあたり、67分間の社会奉仕を呼びかけました。
 南アフリカ共和国では入院中のプレトリアの病院付近で回復を願う市民があつまり、歌や踊りでお祝いをしました。また、この日は南アの国民が奉仕活動を行い、彼の孫たちも参加したと報道されました。
 
ロベン島
元政治犯の解説


昨年、私はケープタウンの沖合にあるロベン島を訪ねて、ネルソン・マンデラさんの27年間の牢獄生活の大半を過ごした獄舎を見学しました。そして、彼だけではない数多くの政治犯としての囚われ人だった方々から獄中生活の話を聞く機会を得ました。彼らの想像を絶する粘り強さとそのぶれない信念に感服しました。
 



プレトリアのマンデラハウス①
プレトリアのマンデラハウス②
また、私はプレトリアのマンデラ・ハウスやヘクターピーターソン博物館、ジョハネスブルグのアパルトヘイトミュージアム、リボーニアのリリースリーフ・ファーム、ダーバンの近くイナンダのオーランジ高校などを訪ねました。




ネルソン・マンデラさんの初めての投票箱
オーランジ高校の生徒たち


虹の国としての南アフリカ共和国はネルソン・マンデラさんが全国民が参加した総選挙によって選ばれた大統領に就任したのが19年前ということですから、人々の記憶がまだ新しいということがあるのでしょうか、アパルトヘイトと戦った人々の記憶を懸命に残す取り組みがなされていました。それは単にネルソン・マンデラさんのみのことではなく、ANC(アフリカ民族会議)や反アパルトヘイトの人々の抵抗の足跡を残す試みです。これらの後世の人々の努力があってこそのネルソン・マンデラさんへの強烈な信頼が育まれていると思います。

 翻って我が日本にこのように国民に愛される政治家ははたしているのでしょか?日本では第二次世界大戦以前の大日本帝国憲法や治安維持法などの下で命を懸けて戦争に反対した人々の足跡を残して来たでしょうか?日本という国が今、世界の中でどう生きていくべきなのか、立ち返るものは何なのか、私は日本国憲法がその題材の一つではないかと考えます。65歳の誕生日にあたり真面目に考えてみました。

明日は誕生日

特別のデザート
冷製パスタ
明日8月1日私の誕生日です。64歳は今日限りとなります。7月27日にもう20年近く通っている馴染みのフレンチレストランで早めの誕生祝い食事会をしてもらいました。このお店は私と味覚の相性がいいのか、いつ訪ねてもとても満足できます。今回はお店の24周年記念シェフお任せの特別メニューをいただきました。シャンパンとワインの組み合わせも素晴らしく大満足でした。御馳走様でした。

岩波ブックレットNO.55
さて、本日は我が日本の麻生副総理による、その意図の良く理解出来ない憲法をめぐる発言が報道されました。いまどき何故にドイツのワイーマール憲法を改悪したナチスの手法を学ぶ必要があるのか?気持ちが落ち着かず、急遽「荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領演説」(岩波ブックレット)を探し出して読み直しました。国は違えども自国の歴史に真摯に向き合った発言は説得力のあるものだ。それからさらに28年間を経ても色褪せていないと思う。「~自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。法を遵守しよう。正義については内面の規範に従おう。今日5月8日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか」