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2012-08-31

南アの鉱山労働者への警官隊の発砲その3(Police shootings at mine in South Africa)

 本日8月30日まで、一日で34人が亡くなり、78人が傷ついたマリカナの警官隊発砲事件関連報道は途絶えることなくテレビやラジオで連日続いています。しかし、ケープタウンの地元紙紙面は1面トップ記事ではなくなってきました。8月16日の事件発生から2週間を経て、マスコミ報道も少し落ち着いてきたとの感触です。ズマ大統領がこの事件の真相を背景も含めて明らかにするとして委員会がつくられ、作業が進められていることから、少なくともそこでの調査結果を踏まえる時期に入ったとも見えます。しかし、私はこの事件の南ア社会に与えた影響は大きいし、今後も折に触れて振り返る必要があると思います。その後の経過として私が注目していることをいくつか書き込みます。(以下はいずれも本日の時点での覚え書きと言った性格の文章になります…)

①8月21日に南アの国会でこの問題が取り上げられ、国会質疑がありました。ここでは「警官隊によるストライキ中の労働者への実弾の使用を誰が決めたのかを明らかにすべき」、「警察大臣のNathi Mthethwaの辞任を要求する」など主にDAやCopeなどの野党側から追及がなされました。

②8月10日からのストライキはマリカナ鉱山のAmcuとNUMの二つの労働組合に主導されました。    ( Amcu(Assoociation of  Mineworkers and Construction Union) と NUM(Natinal Union of Mineworkers)
 このストライキはさらにさかのぼって、7月末頃からのロンミン社のマリカナプラチナ鉱山での賃金をめぐる労使交渉に端を発しています。会社側は鉱山労働者の賃金アップを3ランクにに分けて行う旨を表明しました。すなわち、掘削士には750ランドまで、掘削助手には500ランドまで、掘削助手補には250ランドまでの交渉を認める案を出したとのことです。それに対してAmcuとNUMは労組員を獲得するための勢力争いがあり、対立はしていたが、このランク分けにはこぞって反対を表明しました。(しかし、コサツとNUMの関係や、コサツを通しての現政権との関係は不明です。また、労働組合としての要求レベルの違いはや3000人と報道されているストライキ参加者のそれぞれの労働組合の勢力比はまだ数字が判りません。)
 
③ロンミンプラチナ鉱山労働者の平均的な賃金レベルと賃上げ要求内容が報道されました。
実際の掘削を担当するドリラーでは1万500ランド(10万5千円)/月程度ですが、それを12万5百ランド(12万5千円)/月へと引き上げて欲しい。つまり19%の賃上げ要求だったということです。
④8月10日の時点から、操業機械を止めて、抗議行動がはじまり、2人の従業員が怪我をして、病院へと運ばれた。11日にはヒルトップに続々と労働者が集まり、その中で二つの労組の小競り合いもあったようです。12日には5人以上が発砲で傷つき、2人の会社関係者が死亡する事態となりました。8月13日には3千人規模の労働者が集まり、二つの労組の衝突もあり、また、労働者が鉱山施設に立ち入るなどして、衝突があり警察官2名と6人の労働者が死亡しました。14日には数多くの武装した警官隊がロンミンに到着しました。15日はストライキの参加者たちがヒルトップに戻り、二つの労組代表がそれぞれストライカー達と交渉もしましたが不調に終わりました。
 7月下旬から8月16日に至るまでの経営者、労組、警官隊のそれぞれの詳細な動きはまだ良くはわかりません。特に経営者側がどのように事態を収拾しようとしたかは殆ど不明です。
⑤8月23日にJudicial commissionが発足し、議長がIan Farlamの3名の委員が発表になりました。
(Ian Farlam, Bantubonke Tokota, Pingla Hemraz)労働者のストライキが警官隊の発砲に至るまでの経過を中心に調査を行うと言うことですので、7月下旬から8月16日至る期間に最悪のシナリオを打開する何かの方策がなかったのかどうかも含めて、この委員会が調査結果を発表することになります。

以上のようなことがらですが、引きt続き、事態の推移をただ待つのではなく、自分で判ったことは、このブログに書いていきたいと思います。 最近の報道で私が注目していることは、死亡したあるいは傷ついた労働者の背中からの銃痕が多数の事例として残っているとの記事です。

2012-08-29

切れた電球(A burnt-out light bulb)


近所の電気屋さん

近くのスーパ
 私のブログには食品の話が良く登場しますが、こちらケープタウンの非食品(電球、電池、鉛筆、消しゴム、洗剤など)の様子はほとんど取り上げたことがありません。私の部屋の電球が4か月で3回も切れてしまったことから製品について考えてみました。この電球はHALOGENと記載されていて日本の丸型のものとは形状が異なりますが、2年間は使えると書いてあるのに約1か月で切れてしまいます。

 近くの電気屋さんに行って事情を話すと「それは私の取扱い方が悪いに違いない、電球に直接手を触れないで紙や布でくるんで取り付けるように」と言います。その通りに実施してもまた1か月で切れてしまったので同じ店に持込んだのですが、「理由が良くわからないから、別の会社の製品に換えてみるか」とまた新しい製品を売り込みます。この電球は50ランド(500円)/個と言うわけですから決して価格の安い商品ではありません。made in Germanyなのですがどうもうまく使いこなせません。そしてお店のサービスも日本のように親切丁寧とはなりません。同じ店で電子辞書用の単4型の電池を1本購入したのですが、25ランド(250円)/本でした。made in Chinaですが、それなりの値段がついています。

 また、ケープタウンでは鉛筆はmade in China、ペンシルの芯はmade in Germany、消しゴムはmade in China、洗剤はsouth africaとなっていますが多国籍企業の製品です。このように家庭用品に輸入品がしっかり進出している状況です。また、食品価格との比較ではこれらの非食品の値段が高いとの印象があります。しかも、消しゴムは日本の製品と違って紙がザラザラとなって良く消えません。先ほどの電球の話なども含めて、消費サイドからサービスや品質の改善を求めた方が良いのではと思います。これらについてもこれから観察したいと考えています。

2012-08-26

テーブルマウンテンとケーブルカー(Table Moutain & Cableway)

テーブルマウンテン
 
ケープタウン観光には欠かせないテーブルマウンテン登山を初めて実現しました。1087mの頂上付近は平地が続き、ケープタウン市内を一望しながら、珍しい高山植物群を観察できます。快晴の日がねらい目で、徒歩かケーブルカーで頂上を目指します。この山は頂上付近が何かですぱっと切られたかのように平らなためにテーブルマウンテンと呼ばれています。そして天候の変化が激しいこの山の頂上付近にはテーブルクロスと呼ばれる雲がかかることがあります。いずれにしても昔からケープタウンを象徴する山として市民に意識されてきた山です。

一緒に出掛けた仲間
 
この日は語学学校の皆さんと出かけて、10人のうち半数がケーブルカーを利用し、足に自信のある人は2時間以上かけて自力で登りました。私は直前まで歩こうと考えていたのですが、今回、私たちを登山口まで連れて行った地元のミニバスの運転手のアドバイスに従ってロープウエイ登山に切り替えました。後ほど徒歩登山を実施したメンバーの話では「思った以上に大変なコースだった」とのこと、私自身は日を改めて徒歩登山に再挑戦したいと思います。


ロベン島をのぞむ

 ロープウエイは7分間ほどで頂上まで運んでくれます。通常は往復で200ランド(2000円)ですが、学生証を持っていると125ランド(1250円)で往復できます。頂上につくとレストランがあり、遊歩道が整備されてたくさんの観光客や地元の人々が来ていました。遊歩道沿いにはテーブルマウンテンデージと呼ばれる黄色の花がところどころに見られました。また、内陸部の雪の残る山々や狭い海岸線沿いに開発されたケープタウン市内、ネルソン・マンデラさんたちが獄舎に入れられていたロベン島などを見ることが出来ました。

 

2012-08-23

カンパニーズガーデン散策(The Company's Garden)


樹齢300年以上の梨の木

セントジョージ教会のステンドグラス
  本日は冬場の好天に恵まれ、新しい語学クラスのメンバー10人と教師1名とでカンパニーガーデンを散策しました。ここは近隣に南ア国会や国立博物館&美術館、セントジョージ教会、スレイブロッジなどが立ち並び、ケープタウン市民の憩いの場になっています。特に、国立博物館には教育の一環としてか、児童生徒が多数訪れます。様々な展示が工夫され、私は哺乳類の展示は充実していると感じますが、一番人気はやはり恐竜館(ダイノサウルルス館)のようです。私たち語学学校の生徒も年齢にかかわらず、生徒章を示すことで10ランド(100円)/人で入館できます。
 

クラス仲間と
  もともとは、17世紀にケープ植民地に寄港する船に、植民地の創設者オランダ系のヤン・ファン・リーベックが野菜を供給するために農園を切り開いたことから始まっています。樹齢300年以上という南アでは人手によって植栽された最古の木があります。また、南米への日本人移民がケープタウンへの寄港を許されたことへの日本政府の感謝を示す石灯籠が寄贈されました。(1934年)そしてこの石灯籠を配置した日本庭園があったりします。

 昼食はクイーンビクトリア道路沿いの出店を利用しました。皆さんそれぞれ好きなものを選んで、戸外で食べました。フランス領のレユニオン島から来ているダニエラ、ガボンから来ているミシュエル、カティ、ルーシ、ブラジルから来ているイザベラ、ジュリアン、アリーン、アドルフ、ジュリアーノ、そして教師のクリストロとともに食事を楽しみました。私は中華点心の春巻き(野菜/海老入り)12ランドとキッシュ(ハムとマッシュルーム)12ランドを購入、合計24ランド(240円)で済ませました。



道路沿いのたくさんの出店
 今回のように教室外で受ける教師の説明は実物を見ながらの解説ですので理解しやすいと感じます。いつも身に着けている万歩計も16000歩を示しています。ゴルフでコースに出た時と同じ程度を歩いた勘定です。とても健康的な日でした。
 

2012-08-21

再びのケープタウン暮らし(I'm now in Cape Town)

 ケープタウンに戻って1週間が過ぎました。本日からは再び語学学校に通い始めました。日本での3週間はほとんど英語を話す機会を失っていましたので、またゼロからの再構築です。しかし、通いなれた学校ですので、先生は知った方々、生徒もかなりのメンバーが入れ替わっていましたが知った顔もあり、落ち着いて勉強を進めることが出来そうです。

生演奏も観客が少ないウオータフロント


ウオーターフロント内のお店

 さて、こちらに戻ってさっそくいくつかのお店を探して昼食を楽しみました。私のブログに良く登場するウオーターフロントは冬の時期でもあり、観光客は夏場に比較して圧倒的に少ないのですが、営業は頑張って継続しています。Den Ankerというベルギー系のお店でビールと海を眺めながらとれたて海老のカレー風味を味わいました。正午で一番乗りでした。ビールが美味しかった。


前菜

コンスタンシアの葡萄畑と山並み

メイン

デザート
  別の日にコンスタンシアというケープタウン近辺で早くから開拓されたワイナリーのある地方を訪ねました。Buitenverwachinと言う名前のワイナリーに行きました。まだ、冬の時期のお得コースが用意されています。ここではラインフィッシュなどの魚料理に挑戦しましたが、ワインとも相性の好い料理でとても満足しました。お値段的にもワイングラスを2杯飲んで、しっかり料理をいただいて、200ランド(約2千円)におさまるという驚きの価格でした。 

 南アでは鉱山労働者への警官隊の発砲事件があり、起こった出来事はこの国の実態を象徴する出来事と見ていますが、こうしたことへの内容把握を進めながら、ケープタウンでの日常生活は好奇心を忘れないで明るく暮らしたいと思います。

2012-08-20

ケープタウンの鳥人間たち(A paraglider at Seapoint)

 
我が家の玄関先
 

私は現在ケープタウンのマンション住まいを楽しんでいます。ここの吹きさらしのベランダで冬をじっと耐えていた植物がけなげに新芽を出しはじめました。また、隣人がエレベータの前に位置する我が家の玄関先に百合の切り花を飾りました。そんな季節の変わり目を迎えています。南アの北に位置するもっと暖かい地方では春の時期の花々が咲き始めています。



次々と新芽が

 日本では引き続き暑い夏が続き、時折、大雨が襲うといった気候でしょうか、こちらケープタウンでは8月はまだ冬の季節ですから、雨風が強くてとても寒い日もありますが、夜明けの時間が目に見えて早まっているとか、街中の花壇に名も知らぬ小さな花々が咲いていたりとか、緑に染まる山並みのラインが次第に高地に向かっているとか、徐々に南アの寒い地方にも春に向けた自然の準備が進行中のようです。 
 


 私が日本に一時帰国しているときに何人かの知人がケープタウンにも行ってみたいと旅行の計画を語っていたのですが、最近の南アの世情に恐れをなしてしまったのか、複数の方々から旅行計画を中止するとの連絡が届きました。また、私自身にも生活の不安はないのかと改めて聞いてくださる状況です。マリカナでの鉱山労働者への警官隊の発砲などが世界中に発信されているおりでもあり、勿論、同じ国内の出来事ですし、警戒心をなくしてはいけないと思いますが、ここケープタウンでの生活は比較的のんびりとしたものです。

 私の住まいは前に海、後ろに山とブログを作成する部屋からは相方の景色を楽しむことが出来ます。最近は後ろの山から飛び立った鳥人間(パラグライダー)を見て楽しむ機会が増えています。マンションの上空でゆったりと旋回し、目の前の海岸の空き地に着陸する。この鳥人間たち(パラグライダー)が何人も空を舞っている様子を観察しています。ここは海岸沿いの住まいなので、海鳥が飛び交うのですが、それよりも高いところをゆったりと飛行しているわけです。下界から眺めているとこの鳥人間たちがなかなか気持ち良さそうに見えます。

この山から飛だし

ここに着地


海鳥より上空で旋回

   
 

2012-08-19

南アの鉱山労働者への警官隊の発砲その2(Police shootings at mine in South Africa)

 本日18日はこの発砲事件に関連して「We have to uncover the truth...  It is clear there's something serious  behhind these happenings ,and that's why I've taken the decision to establish the commission of inquiry」と17日にズマ大統領のロンミンプラチナ鉱山現地での発言報道がありました。昨日も書いたように34人が亡くなり78人が傷ついたこの事件の事実経過が明らかになることを期待したいと思います。 私の個人的な疑問としては昨日のブログとも重なりますが、

①労働者のストライキに警官隊が発砲して良いと誰が決断したか?そしてその判断時の状況は?

②8月10日からストライキに入ったとの報道ですが、ストライキの主導者はどちらの労働組合だっ
 たのか?そして労働組合としての要求レベルの違いは何だったんのか?3000人と報道されて
 いるストライキ参加者のそれぞれの労働組合の勢力比はどの程度なのか?

③労働組合と経営側代表の話し合いの到達点はどのレベルだったのか?重篤で入院中との現地
 の経営責任者に替わる交渉責任者は誰だったのか?

④8月13日に労組の衝突があり、死者も出たとの報道があるが、その際の経営者側の行動はど
 んなものだったのか?この時点での警官隊の行動はどんなものだったのか(人数と規模)?
 
⑤8月13日から16日に至るまでの経営者、労組、警官隊のそれぞれの詳細な動きは?この期間
 に最悪のシナリオを打開する何かの方策がなかったのか?

⑥ストライキは労使交渉のはずですが、警官隊はどこからの要請で現地に現れて、どの時点で武
 装対応となったのでしょうか?

以上のようなことがらですが、ズマ大統領が明らかにするのを待つのではなく判ったことは、このブログに書いていきたいと思います。

イド・アル・フィトル<ラマダーンの終了祭>(Eid-ul-Fitr in Cape Town)

グリーンポイント周辺に集合
 本日は土曜日なのですが、ここケープタウンのシーポイントやグリーンポイントと呼ばれる地域に夕方から続々と人々が集まってきました。男性は白いイスラム帽子や白や黒のマントを着用し、女性は黒や白のいマントに加えて、黒い布で顔を覆い、眼だけを見せています。しかし、家族・親戚ずれで集まっている様子の子供たちは普通の普段着の服装だったりします。

 
Eid-ul- Fitrを説明する地元紙

これはケープタウン地域のイスラム教徒のラマダン(断食月)が明けたことを祝うお祭だそうで、移動祝祭日であり、こちらは2012年は8月18日土曜日になったようです。(メッカ時間の月の出を基準とするため、国によっては日付が1日前後する場合があるとのことですが)
 


この地区に続々と集まる車

この地域の道路脇に夕方から続々と駐車が進み、大変な混雑ぶりでした。中にはなれない地域の運転なのか事故を起こして、レッカ-車に牽引される事故車もありました。とにかく同じ宗派の人々が一か所に集まって、何か良くわかりませんでしたがコーラン?が拡声器で流され、手にスナック的な食べ物をもって集合していました。
 

 ここで月の出を待って、ラマダンが終了することをお互いが祝いあう趣旨のようです。1400年も前からの変わらぬ習慣と言うことですが、映像の月ではなく直接自分の目で見るところがミソとなるようです。今夕はなかなか月が見えにくいようです、本当にご苦労様なことです。
 

 

2012-08-18

南アの鉱山労働者への警官隊の発砲(Police shootings at mine in South Africa)


8月17日のCAPE TIMS
南アフリカへの観光客数がワールドカップサッカーが行われた2010年を上回って、2011年度は順調に推移しているとの統計が示されたばかりです。今年もいよいよ2012年度の春から夏にかけての観光シーズンが到来する直前の季節となっています。しかし、今回プラチナ鉱山労働者への南ア警察の発砲により30人以上の死亡者が出ているとの報道が世界各国のメディアによって流されました。世界には南アのことを良くは判らない人々が数多くいるわけですから、いったい何が起こっているのかと不安が増長されていると思います。
 
 南アでも朝から新聞・テレビ・ラジオ・インターネットメディアで報道が続いています。私の日本の友人からも「南アは大丈夫か?」との問いかけが来ています。これは南アにとって虹の国が成立した1994年の選挙以降のもっとも深刻な内容のニュースであることは間違いないと思いますが、正確なところがいまだに不明な部分がいくつかあります。

 ①警官隊による発砲事件以前に、ロンミン鉱山労働者の3千人規模の採掘労働者のストライキが始まっていました。要求としては現行賃金の2倍化などを掲げていたとの報道ですが、南ア全国鉱山労組(HUM)と鉱山労働者建設組合連合(AMCU)の二つの労働組合の対立を遠因とした衝突が起こり、警察官2名を含む、10名規模の死亡者が出ています。 

→何が原因で対立し、どんなきっかけで衝突に至ったのかは不明です。

 ②この一大事にロンミン社の鉱山責任者は重篤な病気で入院中とのことです。ストライキの交渉はどのようにおこなわれていたのか不明です。

→対立する二つの潮流の労働組合と言うことですが、会社側の対応がどのようになっていたのか不明です。責任者が入院不在で果たして代理の者が任命されていたのかどうか?

 ③警官隊による発砲の様子が、映像を伴って世界中に流されましたが、以前から行われていたストライキに対して、何がきっかけで発砲にまでいたったのかは解説されていません。

 →警察隊による発砲映像が先行していますが、これ以前の労働者の内部衝突とそこでの警察隊の役割、死亡者が30人以上になったという警察隊の発砲に至る経過が少しも明らかになっていません。

 ジョハネスバーブ北西部に位置するマリカナ鉱山で起こった事件はこのケープタウンではまだまだ不明なところが数多く、引き続きウオッチすることが求められます。

2012-08-17

ケープタウンの移動手段その2(Transportation in Cape Town)

 前回書き込んだ南アの交通事情は日本の方には少し判りにくい部分があったと思います。そこでケープタウンのミニバスを事例にもう少し書き加えて見ます。それと言うのも普段は乗用車の助手席に座るのですが、ミニバスの乱暴な運転に何回か怖い思いをしたものですから。彼らは特に路線変更や追い越しなどで相当な無理を重ねています。特に夕方の帰宅ラッシュ時は自家用車に加えて、タクシーやかなりの数のミニバスそれに路線バスが競争でお客拾いをすることから無理な運転につながっていくと思われます。


ミニバスの一つ
  無理な運転の第一は道路でどこでもお客を見つけたら乗せるということです。手を挙げる人をミニバスの運転助手が見つけたら直ちにそこに行こうとします。何台ものミニバスが競合して走り回っているために少しでも早くお客のところまで辿りつきたいというわけです。そのために前述した路線変更などを強引にしてしまう状況です。むしろ、ミニバスの乱暴な運転は先刻承知と言うことでマイカーの運転手が慎重に対応している現実です。いわば公共道路の無法者?対策で自衛せざるを得ない感じです。警察もなかなかここまで手が出せていません。

 
工事中のバス乗降場
このミニバスをめぐる利権争いは1990年代のアパルトヘイトの終焉と時期を同じくして規制緩和が進んだようですが、今日の現実を見ると交通法規の見直しを含む抜本的な改善が政府にも求められているのではないかと思います。その中でケープタウンでの路線バスの充実と言うことでバスの乗降場の設置工事が各所で進められています。どんな場所でもミニバスが止まれるというのは利用者に便利なようでも、逆に危険も伴うと思います。固定したバス乗り場の設置とバスの支払い方法の改善とをセットにすればかなりバス利用者にとって便利になるのではと思います。


結構混み合っているミニバス車内
 こんなことを書いたのは南アの自動車事故の中でも、ミニバスの絡む事故が比較的に多いことが知られているからです。全体に事故件数を減らして行く努力が求められると思います。
素人の素直な思いです。

2012-08-16

ケープタウンの移動手段(Transportation in Cape Town)

ウオータフロントのマイシティバス
   ケープタウン市内の移動手段としては自家用車、タクシー、乗合型のミニバス、路線バス、観光などがありますが、大いに幅を利かしているのがミニバスです。しかし、これは相当慣れないと使いこなせません。それに日本語の観光案内には危険も伴う場合があると書かれています。実際に乗ってみますとかなり強引・乱暴な運転が気になります。乗降場所が不定のため、客集めに相当無理をせざるを得ないといったところです。

 ところで、今ケープタウン市内はいたるところで道路工事が行われています。その中心はバス乗降場所の設置です。工事そのものが相当ゆったりしていて、私の観測では6人の工事人がいるとして本気を出しているのは1~2名と言った実態ですが、少しづつ道路脇のバス停が整備されてきました。現在、隆盛のミニバスは、間もなく路線バスにとって替わられると思いますが、今がその切り替えの時期とも思われます。


バスの中の注意書き
  そこで今回、私は路線バスを利用して見ました。街の中心部にあるシビックセンターからウオータフロントまでの移動はマイシティバスが担っています。この路線に乗るには日本で言うところのスイカのようなカードを購入しなければなりません。最低でも30ランドをチャージして、バス利用時に自分の暗証番号を使ってバス停の車掌さんに利用料金の7ランドを引き落としてもらう方式です。現在はいちいち乗客と車掌が金銭のやり取りをしていますので、このマイシティペイパスは便利なのものとして普及していくことになりそうです。日本のスイカやパスモの便利さには遠く及ばないですけれどもネ。

 しかし移動手段として必須なものはマイカーと言うことになります。この西ケープ州は歴史的な経緯のなかで比較的道路網が整備され、高速道路の舗装などもしっかりしています。しかし、公共交通の不十分さと相まって、マイカーを活用できるか否かは、個人の活動領域を大きく左右しています。車を購入維持できる収入がある層とマイカーの所有などは思いもつかない大多数の層とに大きく分かれてしまうというのが南アフリカの現実のようです。

 

2012-08-13

ロンドンオリンピック観戦について(Thinking of the London Olympics)

南アの新聞記事
 
昨日(8月12日)、ロンドンオリンピックが閉会したとのことでこちら南アの新聞Sunday TimesやWeekend Arugusにもスポーツ欄で総括的な記事が載っています。南アは合計6個のメダルを獲得しました。ボートや水泳競技で3個の金メダルを得ています。さらに両足義足のオスカー・ピストリウス選手は陸上男子400mで準決勝まで、1600mリレーでは決勝進出を果たしました。その他、陸上女子800m銀メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手などが話題に上っています。

 
 キャスター・セメンヤ選手は2009年の世界選手権後に性別疑惑の指摘を受けて、性別検査や薬物検査を受け、1年間の出場停止を経て疑惑を晴らし、今回、見事に銀メダルを獲得しました。
 セメンヤ選手はロンドンで「もし、五輪で何かを達成出来たら、7月18日に94歳の誕生日を迎えたネルソン・マンデラ元大統領に捧げる」と話した経過があります。約束を果たすことが出来て本当に良かった。

 私はたまたまオリンピックの開催期間日程のほとんどを日本で過ごしました。オリンピックのテレビ観戦者として男女サッカー・女子バレーボール・体操・レスリングなどを熱心に見ました。ひたすら日本チームや選手が勝つことを願って応援しました。日本選手団の成果もかってなかったレベルと思います。しかし、ケープタウンで南ア選手の情報を中心に五輪を振り返って見るとまた別の視点での思いがあることを知りました。

 南アでのオリンピック応援については、「南ア選手の勝利を願うとともに、人口の9割を占める黒人(アフリカ人、カラード、インド人)の活躍を願う」などの日本では想像の及ばないことがらがあるようです。「水泳は白人の活躍する代表的な競技だが、今回、金メダルを獲得したボートチームには黒人選手がいて、その勝利が嬉しかった」などの南ア人の知人の発言がありました。

2012-08-12

再びケープタウンから(I'm now in Cape Town)


ドバイからケープタウンへ


 「藤原一也の南アフリカレポート」をご覧くださっている皆さん、ブログページの長い夏休み状態をどうかお許しください。先日まで約3週間の日本への一時帰国を過ごしていました。8月9日の日本時間22:00に成田空港を出発して、南ア時間の8月10日16:30にケープタウンに到着しました。エミレーツ航空(アラブ首長国連邦)を使い、ドバイ経由で来ましたが、実際の飛行時間は22時間でした。

ドバイ空港(トランジット)
 
 今回はドバイ空港で4時間30分のトランジットのための待ち時間がありました。ここはさながら不夜城のごとく装飾品などのお店が立ち並び、世界各国からのトランジット客が行き交い、まるで日本の大型ショッピングセンターの様相ですが、行き交う人々の顔つきは多様で、ハブ空港の面目躍如です。私は買物にはあまり興味がありませんでしたが、「パウロ」という東京四谷のお店と同じ名前の店を見つけて、朝食のパンとコーヒーをいただきました。美味しかった。 


真冬のケープタウン(シーポイント)

本当に蒸し暑い時期の日本らしい夏から、22時間の飛行時間を経て、寒い冬の時期のケープタウンに戻りました。こちらの冬の海の風情はまた格別な味わいです。ごうごうと荒れ狂う浪の音や吹き付ける寒風が季節を教えてくれます。この時期を残り三週間ほど過ごして、いよいよ春の草花が萌えいずる季節を迎えます。9月からはケープタウンの観光シーズンの到来となります。 



 私は今回、盛夏の日本から真冬のケープタウンに戻りましたが、身体が時差と気候の切り替えにうまく適応できず、ケープタウンへの到着後、三日目になってようやく身体のバランスが回復してきました。日本に滞在中、これから季節の良くなるケープタウンを訪問したいとおっしゃってくれた何人かの友人がいますが、是非、この距離感と季節感を抑えて訪問してくださると良いと思います。日本滞在中は日本の良さばかりに目が行ってしまい、南アについての公平な視点を見失った感がありますが、再び南アの暮らしの善し悪しについて現地からのレポートをこのブログで展開して行きます。また、日本についても書き込みたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。