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2015-12-31

ポルトガル旅行その6(Flor de Rosa バラの花村)

(国営ホテルの周辺)
(宿泊したポウサーダ)
城塞の町からバラの花村に移動し、昔のお城を改装したポウサーダ(国営ホテル)に宿泊した。

周囲には牧場などがあり、牛だけでなく、鶏や鴨、羊なども飼われていた。牛飼いのおばさんが道路沿いの草をゆったりと時間をかけて食べさせていた。ポウサーダの豪華な施設や設備とはかけ離れた村人の生活ぶりを実感した。 


(タバコの自販機)
ホテルに隣接する村の少しだけ賑やかな場所も、村人がくつろいで話している様子など、時間がゆっくりと流れるような雰囲気だった。そのあたりに一軒しかないコーヒー店に入った。

コーヒーはあったが、アイスクリームや駄菓子類が置かれ、自動販売機でたばこが販売される村の小さな商店だった。ポルトガルなのでたばこはTabacoとして売られていた。 
 



2015-12-30

悠々楽山会にて冬晴れの小仏城山(670m)と高尾山(599m)へ

(一丁平展望台からの富士山)
(小仏城山頂上での昼食)
悠々楽山会の2015年の納会登山は小仏城山から高尾山への穏やかな山歩きでした。12月18日は冬晴れ・適温・無風の三条件が揃った絶好の山日和となり、登りの苦手な私でも何とか多少の余裕を持って登山することが出来ました。 

歩きながら見る富士山眺望スポットが何か所もあり、くっきりと見えた一丁平展望台からの富士山に大満足でした。 

小仏城山頂上での昼食も木製ベンチで温かい陽射しのなか持ち寄りのおかずも分け合いながらおいしくいただきました。

下山後は京王高尾温泉極楽湯で汗を流し、納会登山の反省会を第一次、第二次と行い、帰宅は深夜となる。素晴らしい一日となった。




2015-12-28

ポルトガルの旅その5(Castelo de Vide 城の町)

(旧ユダヤ地区)
(広場の店先)
天上城塞の町(Marvao)から平地に降りて、平地の城の町(Castelo de Vide)を訪ねた。その地を治めた貴族の城が残され、周辺に4,000人ほどの住民が住むんでいる。

また、かってこの地で居住していたユダヤの人々の地区と記念館も残されている。ユダヤの人々はここからヨーロッパ各地に散って行ったとのこと。


                                                                            

(白い壁の街並み)
(町の広場)
この町の広場の商店街や周辺の家々の軒先にはクリスマスの飾り付けが施されていた。私はもっと田舎の街並みを予想していたが、大外れに終わった。

流石、ヨーロッパに位置ずくポルトガルだった。人口は一千万人程度だが、その積み上げてきた歴史は素晴らしいと感じた。  

2015-12-25

ポルトガルの旅その4(スペイン国境近くのマルバオン)

(マルバオンから)
(城塞と石畳)
スペイン国境近く、標高865mの岩山に鷲の巣と呼ばれる要塞に囲まれた村、マルバオンを訪ねた。12世紀のムーア人との闘いから続く、「戦略拠点」とのこと、随分と長い歴史を重ねている地域だ。

東側にスペインも見渡せる国境の村のポサーダ(古城や修道院を改装した国営ホテル)に宿泊した。



(蛸料理)
(ポサーダの朝食)
大西洋から東のスペイン国境近くでもあり、魚介はどうかと思っていたが、宿泊したポサーダの近くにあったレストランで注文した蛸料理が実に美味だった。要するに魚介の扱いを知っている国民と思った。

ポサーダは国営であり、日本の国民宿舎などを連想しながら泊まったが、ポルトガルの場合は趣のあるホテルで朝食もお洒落だった。


悠々楽山会で本仁田山(1,225m)登山



(本仁田山頂)
私は悠々楽山会メンバー8名とともに11月24日に奥多摩駅(青梅線終点)から本仁田山(1,225m)に登った。警戒していた雨や雪は全くなく、ぽかぽか陽気の登山日和だった。

しかし、もともと登りの苦手な私は、奥多摩三大急坂の一つと言われるこの山の「登り」の厳しさを味わうことになった。標高差は881mで初級コースとのことだったが、延々と続く「登り」に閉口して、ようやく頂上にたどりつくことが出来た。




(月明かりで下山)

下山は日没の16:30までに鳩ノ巣駅まではたどりつけずに月明かりの中、ヘッドライトの明かりで林道を下りた。

小一時間だったが、夜の山道の奥深さをほんの少し経験出来た。

状況の厳しいおり、山の仲間のサポートの有り難さを実感した。素晴らしい一日だった。




2015-12-22

ポルトガル旅行その3(魚介が素晴らしい国)

(レストランの蝦や蟹)
今回のポルトガル旅行は「クリスマスイルミネーションとグルメ、そして、田舎を楽しむ旅」だった。女性6人と男性2人の大人しいメンバーであり、リーダーがリスボン在住5年超の経験がある方で見どころをを知り尽くしたうえでの滞在アドバイスが適切だった。

ポルトガル自体が旅行時の安全対策で問題のない国であり、公共料金も安く、物価も他のEU列強と比較すると落ち着いていた。今年3月に訪れたイタリア8日間に比較して、私には費用面でも滞在時の安定感・安心感からは満足度が高かった。

大西洋に面しており、魚を上手に利用している国民と感じた。魚好きの私としてはスーパー訪問時に、魚コーナーの鮮度よろしく、魚種も数多く、価格も手ごろで驚いてしまった。もちろん、レストランの魚料理も鱗や骨の捌き具合など満足できた。特に気にいったものはタコの塩焼きとリゾットだった。
(スーパ―ボック)

ビールはすっきりと飲み味の良いスーパボックがお気に入りとなりました。レストランでのワインやビールが場合によっては水より安いのが驚きでした。日本のように「ただの水を飲める」のはやはり稀な事だった。
 


ポルトガル旅行その2(ユーラシア大陸最西端)

ポルトガルの首都リスボンから電車で西に向かい、ユーラシア大陸の最西端となるロカ岬やシントラというポルトガル王家の夏の別荘がある場所を訪ねた。ロカ岬ではポルトガルがヨーロッパ大陸の西の縁に位置し、大航海時代の先駆者として世界に君臨したかっての栄光に思いを馳せた。

シントラなどはその権勢を誇った頃の名残として緑豊かな地に王家の城や貴族の別荘が点在していた。現在はEU諸国の経済発展からは遅れ気味であり、ゆったりした国民性とのギャップをどう受け止めたら良いのかは未整理のままだ。
     


(ユーラシア大陸の最西端ロカ岬) 
(シントラ付近のムーアの泉)

2015-12-21

ポルトガル旅行その1(リスボンの青い空)

12月3日から10日間のポルトガル旅行を楽しみました。はじめての訪問国の印象は「ヨーロッパの田舎」、とてもゆったりした雰囲気で私にはとてもなじみやすい国でした。
   
(リスボンの青空)
 (不思議な電車展示)
ポルトガルには日本からの直行便がないことから、トルコ航空でイスタンブール経由でリスボンまで行きました。

リスボンは坂道の多い、近郊住民も含めると240万人が住む大都市ですが、白い壁と石畳の美しい街並みでした。




ホテルに荷物を置いて、ボンパル侯爵広場や1974年のカーネーション革命時に民衆が繰り出して埋め尽くしたリベルターデ通りを散歩、安心して歩ける首都を実感しました。s