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2013-09-30

カシオペアの旅ー函館(100万ドルの夜景と海鮮料理)⑤

函館100万ドルの夜景
懐かしい北海道へのカシオペア号の旅は締めくくりの函館となり、慌ただしかった3泊4日も瞬く間に過ぎてしまいました。折悪しくJR北海道の「レール軌道の保守点検」をめぐる信じられないような職務怠慢が報道された最中で、不安もありましたが無事に旭川から函館への移動を終えました。夕方の到着でしたのでただちに函館山に向かい100万ドルの夜景を楽しみました。昔に比較して100万ドルの価値は変化しましたが、函館山からの素晴らしい眺めは変わらず心に染み入る素晴らしさでした。小樽天狗山との勝負ではやはり函館山が圧勝と言えるでしょう。



三色どんぶり
イカソーメンとイカ刺身
函館のボリュームたっぷりの海鮮料理は実に美味でした。価格もお手頃感があります。私は「うに・いくら・ほたてどんぶり」と「イカ刺身・イカソーメン」をいただきました。てんこ盛りのうにやいくらやほたてが満足感の源です。イカも甘くてとれたての味を堪能出来ました。







バイキング形式の朝食
函館朝市周辺
今回のカシオペアの旅最終日は雨にたたられましたが、泊まったホテルのバイキング朝食、函館朝市、路面電車など風情がありました。函館からは私等は函館空港から飛行機で羽田に向かい、孫たちは新幹線はやぶさで東京へ向かいました。全員が北海道の食と風景の豪快さを満喫してカシオペアの旅を楽しく終えることが出来ました。



2013-09-29

カシオペアの旅ー旭川(旭山動物園)④

アザラシ
あざらし


旭川の旭山動物園は日本最北の動物園です。全国的に有名になって久しいのですが、ここへの訪問は私は改装されてから四度目ということになります。孫を連れての3世代ファミリーでの訪問ははじめてのことでした。この動物園は特に動物の展示方法に工夫を凝らして観客を飽きさせません。





ペンギン餌やりタイム



白熊
今回、特に感じたのは中国系の方々の訪問者がとても多かったことです。世界中から観光客が来る著名な動物園になっている証と思いました。
白熊やペンギンの展示にも力を入れているようです。北に位置する動物園の特色を発揮しているようです。






キタキツネ
私が北海道の名寄市で中学・高校生だった頃、もう50年も前の話になりますが、この旭山動物園に来る機会がありましたが、うらぶれた特色のない動物園と言った印象でした。まさに、様変わりです。孫もおよそ3時間飽きることなく楽しんで動物たちを観察していました。


ブラッザとコロブスの檻
サルの遊具
サルの仲間のブラッザとコロブスを同じ檻の中に収める展示を試みていました。これらは通常は一緒にしないのですが、食性の違いやサルの性格を見極めて実施しているとのこと。これらを説明する職員が現地で捉えられ毛皮にされるブラッザの身の上のことなど動物愛護への熱意を感じることが出来る語りで素晴らしいと思いました。














2013-09-28

カシオペアの旅ー小樽③

小樽の夜景(天狗山ロープウェイ)
小樽大和家の寿司
小樽は運河と坂の街ということです。冬はスキー客で賑わうであろう天狗山のリフトに乗り、市内の夜景を見ました。函館の100万ドルに比較して、少し地味で50万ドルというところでしょうか…
小樽出身のSさんのアドバイスで寿司屋通りに行き、大和家さんでゆっくりしました。


手宮線跡地
小樽ビール
鉄道好きの孫が一番喜んだのが日本では2番目の古さという手宮線跡地のレールでした。ビール好きの私は地ビールも楽しめる小樽ビールがお気に入りでした。札幌からは電車で30分程度に位置して小樽はとてもおしゃれな街に変身していました。私ら世代には小林多喜二を育んだ街でもあるのですが…

カシオペアの旅ー札幌(北海道大学)②

北大農学部
北大総合博物館
北大構内を観光客として歩いてみました。私が北大農学部に学部移行したのが44年前のことになってしまいました。農学部側の校門付近にはインフォメーションセンターとして、観光案内もしてくれる施設がありました。広々とした緑豊かなキャンパスは昔のままですが、一般観光客の積極的な受け入れなどはまさに様変わりです。
 かって昭和43年頃に北大11学部中の9学部が学生によって封鎖され、当事者の学生すら自由に学内に出入り出来なかった時代があったことを誰が想像出来るでしょうか。

 理学部建物内の北大総合博物館では、「巨大ワニと恐竜の世界」の展示が行われていました。札幌市民や観光客をこのような形で受け入れ、求めると解説もしてくれることに素晴らしさを感じとりました。とても解放的な雰囲気です。時間をかけてこのような形を作り上げてきたのでしょう。

2013-09-27

カシオペアの旅ー札幌へ①

上野駅(後方はカシオペア号)
「カシオペア号に乗って北海道へ行く」という鉄道好きの孫の願いに便乗した旅をしました。函館ー青森間はこれまでに数多く、青函連絡船や飛行機で往復しましたが、青函トンネルを列車で通過するのは初めてのことでした。JR上野駅を9月22日の夕方16:20に出発して、翌朝の23日9:32にJR札幌駅に到着する約17時間の旅です。
 確か、その昔、急行宗谷号、青函連絡船、特急八甲田号を乗り継いで、故郷の北海道名寄駅から上野駅まで18時間ほどかかっていたと思い出しつつカシオペア号に乗り込みました。



 
白石記念病院
石坂さん
旅の目的は親子孫3代の交流促進ということでしたが、私にはもう一つ大事なやるべきことがありました。私の学生時代以来の親友、石坂さんをお見舞いすることです。彼は今年の4月に脳梗塞で倒れ、それ以来、リハビリをしながらの入院生活を過ごしていました。これまで電話では話すことが出来ていたのですが、直接、顔を見て話したかったのです。札幌駅に着いて、すぐにJR白石駅に行き、タクシーで白石記念病院に向かいました。私はアフリカのナミビア国の「魔除けのお面」と南アフリカ共和国ケープタウンの「絵葉書」をお土産に持っていきました。石坂さんは右半身に麻痺が残っていて、車椅子でリハビリ中でしたが、学生時代のあれこれの話や私の海外生活の話などにもしっかり対応してくれて、楽しい会話で盛り上がりました。奥さんが細やかに気遣っている様子も良く伝わりました。
 「また来るよ」と挨拶して病院を出ましたが、左手で交わした握手が力強くてとても嬉しかった。
来月には退院して、自宅でリハビリを継続することになるとのことです。また、会いに往く予定です。

2013-09-18

古都鎌倉の瑞泉寺

 
瑞泉寺庭園
境内入口の立札書き
9月17日、台風一過の爽やかな日に鎌倉日帰り小旅行を楽しみました。埼玉県川口市からは湘南新宿ラインで約1時間30分、随分便利になりました。

 鎌倉駅は私のようなフリーの立場の者はもちろん若者も数多くいて、古都の風情を味わおうとする人々で賑わっていました。駅前の観光案内所で市内案内を入手し、瑞泉寺へと向かいました。夢窓国師の庭園(鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園)で有名なこの寺は鎌倉駅からは徒歩で30分以上かかります。さすがに訪れる人も数少なく静かな佇まいでした。

 
地魚寿司
抹茶かき氷バニラ
昼食は岐れ道近辺の創業50年権五郎寿司でいただきました。地魚寿司9貫セットでクーポン券を利用して1400円でした。良心的な価格で味も美味しかった。
 帰り道に歩き疲れたので抹茶かき氷バニラをいただきました。700円でした。




鎌倉時代というと約700~800年前のことですが、現代日本の様々な生活は私たちの子孫にどのように感じ取られるのでしょうか?原子力発電施設などはどういうことになるのでしょうか?間違いなく厄介なものであって、見学して心の平安が得られるものではないことでしょう。


2013-09-16

敬老の日と私の母(87歳)


家族食事会
敬老会のプレゼント
  私の母は87歳、埼玉県内の同一マンションで四世代居住で賑やかに暮らしています。本日は敬老の日ですが、台風18号の大雨、突風の大変な歓迎の中、マンション内集会室で地域の敬老会に参加してきました。敬老の記念品をもらって喜んでいます。昨晩は家族5人で、ささやかに敬老を祝う手作り食事会を楽しみました。

  私の母は大正15年に生まれて75歳まで、北海道の名寄市や稚内市周辺のいわゆる道北地帯に住みました。私の父が亡くなった69歳からは一人暮らしで6年間頑張りました。しかし、冬の雪の始末がどうにもかなわなくなって、長男の私が住む温暖な気候の関東地方に引っ越しました。

 思えばちょうど昨年の敬老の日、関東地方に転居して12年目でしたが、転んで右脚大腿部を骨折しました。そのため手術で骨折部をつなぐ短い接続器具を埋め込みました。当初は順調に見えたのですが、リハビリ退院後に再び転倒して同じ箇所を骨折しました。そして2回目の手術を受け、長いものと短いものを組み合わせた接続器具で骨折部を補強しました。その後、リハビリを経て歩行が可能になってから、3回目の実はもともと予定していた大腸の腫瘍を摘出する手術を行いました。入退院しながら闘病すること七か月、三度の手術に耐え、ようやく長男や孫、ひ孫の待つマンションに戻れたのは今年3月のことでした。それからも週一回のリハビリ通院を続けながら健康回復を計っています。

 そんな母ですから、今年の敬老の日はひとしおの想いで迎えたことと思います。寿命と体力があってこそ、3回の手術に耐えられたと思います。もうひと頑張りして暮らしを楽しんでもらいたい…


2013-09-15

学習会ー「青い目の人形」と埼玉県

埼玉県内各所に残る青い目の人形
話題提供の山口勇さん
9月9日に生活文化・地域協同研究会(通称:協同研)の学習会にはじめて参加しました。幅広い題材を扱っている研究会で今回は10人程の会話が届く集まりでした。

 昭和2年に米国から届けられた「青い目の人形」の主に埼玉県での史実について、この題材を掘り起こした元・埼玉県で小学校の教諭などを経験された山口勇さんからお話がありました。埼玉県内の各小学校にも178体の青い目の人形が届けられました。

  『 昭和二年三月三日米国から日本に到着した「青い目の人形」の歓迎式典が日本青年館で開催され文部大臣・外務大臣・米国大使・渋沢栄一ら日米関係団体の代表者、各小学校・アメリカンスクールの子供など二千人が集まったといいます。』また、この日本国民から歓迎された青い目の人形たちが『昭和一八年には、鬼畜米英思想の元で「叩き壊せ青い目の人形」「青い目をした人形、憎い敵だ許さんぞ」などの新聞見出しが書かれ、文部省国民教育局総務課長の「速やかな処置を」との談話が出されるにいたりました。実際に人形が焼かれたり、竹やりで突かれたりして姿を消していきました』(当日の資料から)

 短期間の間に親米から、そして戦争、鬼畜米英の思想、戦争終了後は日米安保条約でがんじがらめになっている日本について振り返る良い機会となりました。そして戦争が国民に与えた悪影響のひとつに市民レベルの草の根交流をぶち壊してしまう国民教育の恐ろしさについても考えさせられました。
 

2013-09-14

ベランダのあさがおと入谷朝顔市その2

およそ2カ月間の頑張り
あさがおの葉についた虫
今年の7月7日に入谷朝顔市で購入したあさがおは9月になってもけな気に花を咲かせていました。水やりだけで毎日のように新しい花をつけて、2カ月間よく頑張ってくれました。最近、急に枯葉が目立ち始めたので観察したら沢山の虫がついていました。割り箸でとってつぶしましたが、気づくのが遅れたようです。

7月の入谷朝顔市はJR鶯谷駅から鬼子母神周辺まで、ズラリと朝顔販売のお店が並んで壮観でした。私は初めて鉢うえを買いましたが、9月まで楽しませてくれることを知りませんでした。来年も入谷朝顔市に出掛けたならば、また、鉢うえを求めようと思います。あさがお君よ、この暑い夏を良く頑張ったネと励ましてやりたい。

2013-09-10

東京オリンピック招致決定と秋への気配

 この夏の日本の気候は異常と感ずるほどの「酷暑」「竜巻」「雷豪雨」に見舞われました。さすがに身体にも直接的な悪影響をもたらしました。何しろ私は体調が十分ではなかった。

きのこ出現
虫取りの園児たち

しかし、ようやくこの2~3日は夜風が涼しいと感じました。季節は必ず移ろうものですね。毎日の散歩コースにも名前の知らないきのこが現れました。園児たちは虫取りに興じています。また、新しい季節が巡ってくる予感がありますね。


 昨日は東京オリンピックの招致決定で日本中がわいていました。若干マスコミによる話題作りに乗せられたとの感もありますが…経済的効果はやるべき対策をとることが出来たら間違いなくこれから出てくると思います。ただし、安倍首相がブエノスアイレスのプレゼンテーションで世界中に宣言した「フクシマは完全コントロールされている。解決に向けたプログラムを決定し、すでに着手した」「汚染水の影響は東京電力福島第一原発の港湾内0.3平方キロメートルにとどまっており、日本の水と食品は世界最高水準の厳格な安全管理を行っている」などの発言は今後もその内容の真偽が国の内外で問われ続けると思います。




2013-09-08

年金生活と飲食費

近くの生協店舗
私は昨年(2012年3月)、共働きの妻は今年(2013年3月)から定年となり、年金生活者となりました。年金暮らしとなって収入が低めに固定化されることから、支出はある程度削減すべき状態になっています。これまでの暮らしぶりから何を変える必要があるのか、またはないのか、思い悩むだけでなく数値として把握する必要がありました。

 今年度の4月~8月の家計簿データによると我が家は食費と外食費の比重が高い傾向にあることが判明しています。すなわち家計支出のエンゲル係数比が高くなっていることを意味します。これは定年後の収入が減少したので極めて当然の結果と言えます。

 
生協の個配車
我が家の食生活は外食を除いて、生活協同組合の個配と店舗からの購入で概ねまかなわれています。一週間に一度、火曜日に前週にインターネットを通じて注文した品物が自室まで届きます。一か月あたり5万円から6万円の範囲になります。

 さらに個配では賄いきれなかった食品は週末に生協店舗に行って補充します。店舗に行くと5千円程度の買い物になります。  個配と店舗のトータルで生協に毎月7~8万円の主に食費を支払っています。年金生活者にはここの見直しが必要と思っています。
 

近所のお寿司屋さん
それに加えて贔屓のお寿司屋さん、鰻屋さん、フランス料理屋さんなどの外食を月に1~2回すると2万円は出費することになります。
 それに加えて週に1回程度の飲み会などお付き合いがあります。我が家の飲食費の見直しは現役時代と比較してそれほど減らせていません。このあたりは今後の検討課題で一年間ほどかけて是正するつもりです。基本は「美味しいものを選んで食べたい」というところです。

 

2013-09-04

ふる里農産物の販売応援

  私のふる里である北海道名寄市は道北に位置して、もち米、アスパラ、とうもろこし、ジャガイモ、かぼちゃ、玉ねぎなどの農業生産に特色があり、市の産業の基盤となっています。

 
アスパラの販売応援(2013年6月)
人口は約3万人の北海道道北部の拠点市の一つで、縁があって東京杉並区との交流自治体のひとつです。杉並区役所前では春のアスパラガスを朝どり新鮮野菜として普及宣伝販売を行っています。私は東京なよろ会というふるさと会活動の一環としてボランティアで今年の6月アスパラガスの販売の応援を行いました。この数年間の取組の成果なのか杉並区の住民の認知度も次第に高まり、ふるさと名寄から持ってきた太くて柔らかいグリーンアスパラは当初予定の午後3時まではもたずに午前中に完売となりました。

 

名寄産とうもろこし
とうもろこしの販売応援(2013年9月)
今回、杉並区役所前での普及宣伝販売に秋の味覚とうもろこしをはじめて取り上げました。このスイトコーンは柔らかくて甘みがあり、電子レンジで3~5分でおいしくいただけます。もちろん軽く茹でても、私たち団塊世代が子供の頃に食べたとうもろこしとは全く感覚の違う、柔らかく甘い味わいが得られます。

 このとうもろこしも販売初日の9月3日は販売開始からわずか1時間、午前11時頃には用意した1,200本がたちまち完売となりました。1本100円という魅力的な価格設定ということもあるのでしょうが、北海道名寄市産の農産物を知っている杉並区民が増えているのも間違いないと思われます。
 たまにはこのような身体を使うボランティア活動も気持ちの良いものです。

2013-09-02

ネルソン・マンデラさんの退院

 本日9月1日は南アフリカ共和国から嬉しいニュースが飛び込んできました。プレトリアの病院に入院していたネルソン・マンデラ元大統領が「重篤だが安定した容態」とのことで自宅療養に切り替えて退院したとの報道です。

 7月18日のネルソン・マンデラ国際デーの頃、すなわち95歳の誕生日前後は大変厳しい病状が伝えられていただけにその驚くべき生命力・ねばり強さには心から感動しています。

 
マンデラハウスを訪ねた子供たち
マンデラハウス
南アフリカ共和国にはネルソン・マンデラさんらの功績を讃える数多くの施設がありますが、プレトリアのマンデラハウスを今年3月に訪れたことを思い起こしました。

 そこはかって住んでいた住居ですが、世界各国から訪問者が訪れます。また、そこでは南アの子供たちが集団で訪ね、マンデラハウスの解説者から南アの歴史やネルソン・マンデラさんについての話を聞いている様子を見聞しました。

 ネルソン・マンデラさんの素晴らしいところは私の考えでは27年間もの牢獄生活に耐え、選挙によって初代大統領に就任して権力を手にしてからも、アパルトヘイト時代の歴史的事実を掘り起し、「虹の国」としての国民的和解を推進した努力にあると思います。

 南アフリカ共和国の現実は経済的な貧富の差の拡大はじめ、民主主義の定着度合などまだまだ改善すべき事項が数多いと思います。1994年から始めた新しい国造りを、いわば国父の立場で出来るだけ長く見守って欲しいと心から思います。

2013-09-01

囲碁を楽しむ

 
私の元の職場の初代会長 賀川豊彦
8月の締めくくりの日は2年半ぶりに昔の職場の囲碁同好会に行き囲碁を打ちました。久しぶりの参加にも関わらず、皆さんが快く受け入れてくれたのでとても嬉しかったのです。私の元の職場だった東京の渋谷周辺は街並みの様相がどんどん変わっていきますネ。

 2011年の東日本大震災以降は何となくこうした場から離れ、しかも昨年は南アのケープタウンに在住していたので事実上、碁石を握る機会を失っていました。ルールは覚えていても長く実戦をしていないので感覚が戻るか心配していました。

 
 
囲碁対局
しかし、さすがに昔からの囲碁仲間でした、しばらくぶりの復帰者には手荒な戦いは仕掛けず、そこそこ楽しませていただきました。囲碁の良いところは実力差はあっても置碁といって、あらかじめハンディをお互いに受け入れて交互に黒石と白石を打ち合うことが出来ることです。

 囲碁は黒石と白石が地合いをめぐって戦います。場合によってはどちらかを殺しあうという場面も登場します。しかし、とても懐の深い考察が求められる知的なゲームです。

 

 ところで囲碁の世界には原爆下の対局という話が語り継がれています。1945年終戦の年の8月6日に広島市郊外の五日市町で本因坊戦第2局が行われていた最中に原爆投下があったのです。そのようなことが二度と起こらないように私たちは「日本国憲法」を持つことが出来たことを大事に後輩世代にも伝えていきたいと思います。