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2014-05-31

北大農学部その④生協食堂で昼食

(北大生協中央食堂)
(582円の昼食)
5月26日に緑豊かな北海道大学構内を散歩し、大学生協の経営する中央食堂で昼飯をいただいた。ライス97円、豆腐と若芽の味噌汁32円、ゴーヤチャンプル162円、寄せ豆腐75円、ほうれん草ゴマ和え54円、サバ塩焼き162円、合計582円。注文から支払い、後片付けの仕組みは基本的に変わらず、周りで食べている若い後輩たち(もう孫とも言える年齢だけれど)の雰囲気も和やかで楽しい食事となりました。



私は学生、院生の7年間にこの学食のお世話になったこと数知れず、特に大学院生時代は朝、昼、夕の三食をクラーク食堂で食べた覚えがあります。40数年前のこととは言えども、懐かしく思い出すことが出来ます。大学生協にはほんとうにお世話になりました。
(IHさん、Nさんと)
(Oさんと)
また、札幌でそのころの同級生に会うことが出来ましたが、音楽サークルでチェロを毎日欠かさず練習していたOさんは、今では奥様、子供たちとそれぞれの楽器を楽しむ音楽一家です。作物栄養学を学んでいたTさんは定年後の生活に家庭菜園を楽しみ、自家用車のベンツで狭いながらも自分の畑に連日通う日々です。もともと札幌出身だったIさんは定年後に札幌にもどり、息子さんとのゴルフなどを楽しみにしています。残念ながら病に倒れたIHさんはその後のリハビリを経て、訪問時に少しだけ)酒をたしなむ程度に回復してきました。それぞれの人生の後半期だけれど、若い時代に話あった基本的なことがらは今も生きていると思うことしきりでした。

2014-05-30

北大農学部その③農院生夏の学校Ⅱin由仁

(農院生夏の学校Ⅱ開会)
(農院生夏の学校Ⅱ講演)
5月25日~26日と北海道由仁町のユンニの湯で「農院生夏の学校Ⅱ」が開催された。今から凡そ40年前に北海道大学農学系研究科に学んでいた元大学院生達が再び集まり、それぞれの来し方行く末を語り合おうとの企画だった。



(農院生夏の学校Ⅱ懇親会)
(農院生夏の学校Ⅱ報告)
学位を取得し、大学の教官や研究職に就いた方々もそれぞれ齢を重ねて定年を迎え、年金生活に入られた方も多かったのだが、一旦報告に向かい、質疑応答などを行ううちに、皆さんの気分は一気に40数年前にさかのぼり、若かった頃の熱気がよみがえってきたようだ。


新制大学院の第一期生であり、そのころすでに研究者・教官の立場だった七戸長生先生は「『夏の学校』との出会いの頃」との記念講演を行ない、北大の良さ、特色などについて語られた。その後、参加者の個別報告を25日午後と26日午前の二日間を確保して行い、夕食時の懇親をアルコールつきで行った。それぞれに40年分の思いがあるので報告時間が少なすぎるきらいはあったが、資料集を作り上げて時間不足をカバーし、お見事な夏の学校Ⅱの時間帯となった。それぞれに豊かな実りある報告は参加者の心に入り、「さあ、これから成熟の時期に相応しい何事かをなさん」との動機づけになったと思われる。報告の皆さん有難うございました。

2014-05-29

北大農学部その②爽やかな新緑の季節

(北大構内①)
(北大構内②)
2014年5月26日に私の母校北大農学部近辺を散歩しました。この時期の札幌周辺は木々の緑が萌出る感じがあり、40数年前の学生の頃から大好きでした。爽やかな空気は北海道ならではのものです。一方、東京は30度を超えてもう空気のべとつき感が出始めました。


(街中の家庭菜園)
(ロイヤルシップ札幌GC)
私の周囲の年金生活者には家庭菜園に取り組む熱心な人々がいます。札幌の同級生Tさんもそのうちの一人です。自家用車はベンツですが、毎日のようにそれで家庭菜園まで乗り付けて農作業をしています。なかなかのくらしぶりに感心してしまいました。また、札幌で同級生ゴルフを楽しみました。天候に恵まれ思いっきりプレー出来ました。

北大農学部その①学士会館でのワインテイスティングの夕べ

(前菜)
(赤ワイン)
私は現在65歳となり年金生活者となったが、北海道大学農学部農芸化学科の同期生と今でも年に数回の集まりを持っている。今回、2014年5月17日に私たちの大先輩のKさんの指導で学士会館でワインテイスティングに挑戦した。



(白楊よん・ろく会)
(大先輩を囲んで)
これまでの私の経験ではワインテイスティングは例えばアメリカカリフォルニア州や南アフリカ共和国西ケープ州のワイナリーを車の助手席に乗って、一日に数ケ所を訪ね、そこのワイナリーの自慢の品々を試飲して、気に入ればボトルを購入してくるというスタイルだった。


それに比較して先輩の選んだワインの情報提供を先に受けてから、しっかりとワインを味わって、飲みこむというスタイルのテイスティングはまさに味わい、語らい、資料入手など勉強になった。また、大先輩のたくましい年金時代の生き方に共感できた。同期のメンバーもいつもの飲ん、で語って、唄ってのスタイルを打ち破って満足感が溢れた。

2014-05-24

悠々楽山会 大菩薩嶺

(上日川峠)
(大菩薩峠)
5月20日は悠々楽山会の大菩薩嶺(2056.9m)日帰り山歩きの日でした。今回はこの山会に参加して5回目のお誘いでしたが、初めて2000mを超える山への挑戦でした。
とはいえ、登り始めは上日川峠(1590m)まで車で行くことから実質400m強の高低差とのこと、何とかなるのではと考えていたのですが、登りはじめの勾配がきつくて、大菩薩峠(1897m)までリュックサックをKさんに預ける破目になりました。
(大菩薩嶺)
(楽しい昼食)

これまでの1000m級とは異なり山の懐が深くて、私の万歩計の歩数は29184歩となりました。とても苦しかったのですが、何とか皆について歩き通し、山を下りて大菩薩の湯につかるころにはとても充実した気持ちになり、満足感に浸ることが出来ました。その日の長期予報は雨でしたが、前日に晴れ予報に変わっていて、風もほとんどなく、爽やかな山の空気を十分に身体に取り込みました。大菩薩峠介山荘での昼食は温かい味噌汁つきで大満足でした。

2014-05-23

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

(岩佐幹三さん)
5月17日はノーモア被爆者記憶遺産を継承する会の第2回通常総会に参加しました。私は戦争で殺戮のために核爆弾が使われたのは日本でしかなかったことでから、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相を掘り起し、記録し、収集し、ノ―モア・ヒバクシャの記憶遺産を継承していくことは極めて大切なことと理解しています。世界でもここにしかないというこの会は2011年12月に設立総会が開催され、岩佐幹三さん、肥田舜太郎さん、大江健三郎さん、安斉育郎さんらが呼びかけて発足しました。私はこの会の設立総会に参加し、大江健三郎さんの記念講演や会場での肥田舜太郎さんとのやり取りの様子をこの目に焼き付けることが出来ました。


(会を支えている事務局の方々)
そもそも1971年に日本学術会議が「原爆資料センター(仮称)の設置について」を勧告したにも関わらず現在も日本国を設置主体とする資料センターは実現していません。
私は今回この会場で上映された「被爆者の証言」を見て、心の底にぐっとくるものがありました。本などで読んでいたものとは異なる、話し手の表情、しぐさとともに語られることが伝わってきました。被爆からすでに69年、記憶が風化する前に何とかこの会の活動が軌道に乗るようにと願いました。

2014-05-16

しっかりしてよ!日本郵便株式会社・株式会社ゆうちょ銀行

(郵便ポスト)
郵便ポストは近場にあるし、郵便局もコンビニのすぐ近く、定年暮らしともなると郵便局は現金の預け入れ、引きだし、公共料金の自動引き落とし、様々なサービスの払い込みなど私の生活の身近にあります。ところが最近こんな出来事がありました。いつも利用している郵便局にある講演会の参加費用の振り込みに行きました。16:00で窓口振り込みが終了してしまうのは承知していたので、大急ぎで走り、ようやく16:00前に郵便局にたどり着くことが出来ました。しかし、記入欄に不備があり手直ししている最中に16:00を過ぎてしまいました。当然の様に窓口業務は終了しましたと宣言され、後は設置されているATM振り込みをしてくださいとのことでした。仕方なくATMに向かいましたが、まことに運が悪く、私の前にATM操作をしていた人が誤操作をして機械がストップしてしまいました。窓口ではなく別の席から人が出てきて、機械の修理をはじめましたが、なかなか修復しません。設置ATMは1台のみです。そして「しばらくお待ちください」の案内がありました。私はさすがにイライラとして、機械が修復するまで窓口で対応できないのかと聞いたところ、「営業は終了しました」と言われました。そこで2円切手を25枚の購入を申し出たところすぐに買うことが出来ました。窓口が僅か4か所の小さな営業所ですが、日本郵便株式会社業務と株式会社ゆうちょ銀行業務を分けて対応しているということでしょうか?その後15分間ほどATM修理を待ちましたが、動き出さないので別の郵便局に行って、ATM振り込みを行いました。何か腹立たしい気持ちが残り、ブログに書くことにしました。まことに私的な小さい出来事ではありますが、郵便局よ、もっと柔軟にサービスしてほしい。私はあなた方の顧客の一人ですよ。

2014-05-12

母の日、いくつになっても母は母

(母の日の鉢植え)
(母の日の翌日の母の花瓶)
我が家は総人数は少ないとは言え同じマンションに4世代が暮らしています。年齢はそれぞれ異なるけれども母の日の対象者は3人います。子が母を何らかの形で感謝を示すのが母の日だととして、例年は生協の共同購入で「アジサイとカステラのセットプレゼント」を注文して、母の日が近づくと品物が母親のもとに届くというスタイルをこの10年間ほど続けてきました。




今年、年金生活者である私(65歳)はいつもとかたちを変えました。母(88歳)を誘って近くの花屋へ行き、母の好きな花や鉢植えを選んで支払は私がすることにしました。転んで足を折ってしまったが、リハビリを頑張って何とか生活を自立をできるまでになったが、一人では散歩にも出にくくなった母を家の外に誘い出す意味あいもありました。
大正時代の最後の年に生まれた母は花を二鉢選び、その他にパセリを追加しました。そして仏壇用途の菊を数本選びました。まあ、そんなものかと思っていましたが、翌日には若い方の母親が年寄の母親の花瓶が寂しそうと色彩の豊かな花を追加しました。

2014-05-10

南ア、虹の国として再出発してから5回目の総選挙

(マンデラさん関連本)
南アフリカ共和国では1994年にアパルトヘイトを廃して、虹の国として再出発してから20年目を迎え、日本時間の5月7日に5回目の国政選挙が行われた。開票率は98%を超え、ほぼ大勢は確定した。ジェイコブ・ズマさんが率いる政権与党のANC(アフリカ民族会議)はやはり強力で62.2%、しかし、前回より3.7%減らした。一方、野党のヘレン・ジレさんが率いるDA(民主同盟)は22.2%、前回より5.8%増やした。そして元ANCの青年同盟議長でズマさんらと対立して除名されたジュリアス・マレマが設立したEFF(経済自由戦士)が6.7%を獲得した。結果的にDAとEFFがANC批判票を取り込んだ形になった。
ANCは南ア経済の停滞や貧富の格差増大など国民の不満やズマ党首の金やモラルをめぐる様々なスキャンダル報道のなかでも6割を超える圧倒的な支持を得た。もちろん、南アの9つの州の各党得票率はばらついていて、西ケープ州はDAが1位、ジョバーグのあるハウテン州ではANCは1位だが55.0%と他の州に比較して苦戦しているのだが。

以下は私の見方だがANCは今回の20年目の選挙にあたり、昨年末に亡くなったネルソン・マンデラさんを改めて前面に押し出しての選挙を行ったのではなかろうか?南アの貧しい人々はアパルトヘイトを終わらせて20年を経て、自分の身に豊かさなどの経済的変化がなかなか現れないことに不満がありつつ、部分的にはジレさんのDA、マレマさんのEFFなどを選んだが、大勢はANC以外の選択肢を十分には持ち合わせていないと推定される。今回の選挙結果を受けて現在のANCリーダーらはネルソン・マンデラさんの掲げた「虹の国」の理想を守り、自らの政策を厳しく見直して、1994年の初心に帰るしか残された道はないのではないかと思う。

2014-05-09

南浦和駅前成文堂書店にて世界6月号を購入

(たくましく育つ若葉)
(世界6月号)
JR南浦和駅近傍の書店まで自宅から歩くと往復6,000歩程度になります。5月8日の「世界」6月号発売日に合わせて出かけました。安倍内閣による集団的自衛権の「勝手押しつけ解釈改憲」の動きが、私には我慢ならないのですが、今号には自民党総務会長の野田聖子議員が世界編集部のインタビュー記事が掲載されました。それは4頁に過ぎず、本誌は864円と安くはなかったのですが、「少子化と安全保障はリンクしている」「安全保障政策でリスクを取ろうとしても、担い手がいなくなろうとしている」などのフレーズに惹かれて購入しました。

私が生まれる以前に終わった第2次世界大戦では徴兵制のもとに数多くの若者が上官の命令のもと日本国外で戦闘の主体者となり殺しあったのはまぎれもない事実でしょう。出生数が100万人程度あるいは将来それ以下になろうとしている我が国で、集団的自衛権の名目のもとに日本からは遠い地の地球の反対側までも出向いて殺しあうことが容認された場合の自衛隊にはたして若者が就職するのだろうか?とどのつまり徴兵制が復活することにならないか?
私には今、5歳の孫がいます。孫の世代の安全保障は20年先を慎重に見極める必要があると思います。日本国として戦争をしかけてこなかったこれまでの67年間に誇りを持ち、全世代の知恵を総動員して、今後も「非戦と専守防衛」を貫き、現行の日本国憲法で一世紀をしのぐことが出来たら、このことこそ人類史に輝く成果となるのではと考えています。そして孫のためにもそれが最も優れた選択肢だと信じます。

2014-05-07

川口新井宿緑のヘルシロードと藤右衛門川遊歩道のサイクリング

5月7日、爽やかな5月の風に誘われてサイクリングに出かけました。巷では連休も終了して忙しい日常が戻っていると思います。ところが私は年金生活者。365日の連休というわけです。思い立ったら日程調整の必要はありません。

(根岸水門)
(緑のヘルシーロード)
私は手持ちの普通自転車に乗って、根岸水門から芝川サイクリングロードから川口グリーンセンターの新井宿緑のヘルシーロードを経て、藤右衛門川遊歩道を走りました。2時間ほどの走りとなりましたが、およそ平たんな道で心地よい5月の風と緑豊かな風景にすっかり魅了されてしまいました。
(上谷沼運動広場)

(運動広場の花壇)
いつもは歩きを基調にして、毎日1万歩以上、望ましくは2万歩を目指しています。サイクリングは万歩計の歩数は増えないのですが、歩くだけよりもずっと楽しいことが判りました。これからは散歩とサイクリングを組み合わせた無理のない運動を心がけていきたいと思います。

2014-05-04

さいたま市浦和区岸町のビストロ・ド・タニ

(側道のツツジ花壇)
ゴールデン・ウィークですが、仕事を離れて3年目ともなると自宅周辺で散歩をしたり、本を読んだりの普段通りの暮らしとなっています。しかし、爽やかな5月晴れの風に誘われて、散歩の延長気分で自転車でさいたま市まで行き、フレンチレストランのビストロ・ド・タニでランチを楽しみました。埼玉県の自宅周辺は桜の季節が瞬く間に過ぎ、ハナミズキが続いて、今はツツジが見ごろです。少し遠回りになっても目を楽しませながら、目的地まで向かいました。





(前菜)
(スープ)
近頃、ビストロ・ド・タニはランチでも予約が必要なほどの人気ぶりです。楽しみながら料理とワインを味わうことが出来ました。







(メイン)
(デザート)
盛り付けがきれいなことと味付けも爽やかさが溢れて満足できました。価格は年金生活者にもそれなりに耐えられるものでした。

憲法記念日と私

(つつじ、さいたま市)
本日、5月3日は憲法記念日。1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことによる。朝日新聞は社説「安倍政権と憲法ー平和主義の要を壊すな」、読売新聞は社説で「集団的自衛権で抑止力高めよ 解釈変更は立憲主義に反しない」と論じている。NHKは憲法記念日特集番組「9条と集団的自衛権・各党論客が徹底討論」を組んだ。私はこのTV番組を朝から見ていた。私にも言いたいことが聞きたいことが沢山あった。しかし、多くの論点がクリアにならないままに、番組は終わってしまった。私より一年年上の日本国憲法よ、君は国民の一人一人に本当に大事にされてしかるべきなのに、、このままではまずいことになりそうだ。

午後から88歳の私の母とコーヒーを飲みながら話した。母は「もう戦争はこりごりだ」と私に言った。母は日本の敗戦の年に20歳だった。10代だった日本の戦争の時代には「何も良いことがなかった」とも言った。

その後、私の孫(5歳)の自転車乗りの練習に付き合った。孫は近くの運動公園で何回か練習を繰り返して、ようやく二輪車に乗れるようになってきた。大喜びしていたが、日本国憲法が変えられ、同盟国などとともに特定の国と戦争を行うことになったら、我が家では兵隊として戦えそうなのは孫のみだ。もし、そうなったら、こんな悲しいことは他には見あたらない。
私は自分の生まれてきたときには、すでに施行されていた日本国憲法をもっと大切に扱って行きたいと思った。