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2014-01-23

伊江島のヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館ー沖縄の旅⑤

資料館の展示物
謝花館長と私
伊江島にはヌチドゥタカラの家反戦平和資料館があります。私はここの館長の謝花悦子さんの講演を10年以上前に東京中野区で聞いたことがあり、その時に阿波根昌鴻さんの名前も知りました。沖縄に行く機会があったら、是非訪ねてみたいと思っていました。幸にも謝花さんにお会いでき、その時のことを聞いてみましたら良く覚えていました。反戦平和資料館には修学旅行生なども訪れ、沖縄戦の伊江島での戦闘の様子やその後の強制移住や土地を取り戻すための闘いなどを学ぶそうです。私もここの貴重な資料に圧倒されました。
飛龍庵
城山にて
伊江島には飛龍庵という宿があり、面白い建物だったので宿泊したかったのですが、東京からの高校生で空き部屋がなく、建物だけ見学しました。宿のオーナーの千葉さんと話していたら、実は北海道旭川の出身であり、私が小学校時代を過ごした剣淵町にも縁があることが判りました。まさに世間は狭いと思いました。その方の案内で島で最も高い城山(ぐすく山)にも登ってみました。
沖縄戦では実際に地上戦があり、伊江島では島の人口の1/3にあたる1500人が命を奪われたそうです。そして生き残った住民を捕らえ慶良間諸島などへ一時強制移住させたそうです。それから69年を経てもなお米軍基地がある現実はまことに辛いことだと思います。



2014-01-22

寿司店で三線演奏の歓迎ー沖縄の旅その④


三線楽譜
沖縄では楽器の三線は暮らしの場の身近な存在です。沖縄移住組の友人Wさん夫婦も三線の楽しさに気づいて週に何回かの練習を欠かしません。那覇到着のその日に公民館の練習会場に誘われ、テレビ番組でしか見たことのなかった楽器の響きと唄声を味わいました。そして楽譜?も独自の様式で珍しいものでした。沖縄県の島々で昔から演奏されていた島唄なども、現代語への置き換えがなければ理解不能でしたが、公民館の教室で二〇人ほどが演奏しながら唄うのを聴き、心地よさと懐かしさをしみじみと感じることが出来ました。この練習会場で演奏指導をしていたD先生は著名な唄い手とのことでした。


南風の寿司
店主
沖縄の寿司を食べて見たいと「南風」という寿司店を訪れました。ここの店主は三線が好きで希望があれば三線を聴かせてくれる場所でした。何かとても贅沢な感じで三線を聴きながら、新鮮でおいしい沖縄の寿司をいただきました。心身共に大満足でした。



沖縄には味わい深い島唄が数多くあって、今も三線とともに歌い継がれています。15世紀の昔から三線は暮らしとともにあったということを聞きました。伝統の奥深さとともに、辛いときも嬉しいときも三線を奏でて唄い飛ばす強さを感じました。
本日は1月22日です。名護市長選挙の結果はほんとうに素晴らしいものでした。沖縄名護市の辺野古をめぐって陸にも海にも基地はいらないとの意志を日本中にまた世界に向かって知らしめたと思います。



















































2014-01-19

沖縄の米軍基地(嘉手納、普天間)そして辺野古の海ー沖縄の旅③

嘉手納道の駅
嘉手納基地の長い滑走路
嘉手納町は町の総面積の8割以上が米軍用地になっている。嘉手納道の駅を訪ねると高校生らがバスを連ねて道の駅に展示してある嘉手納基地の歴史や屋上から見える米軍基地を見学していた。屋上には望遠鏡も設置されていて、100円を投入すると米軍の飛行機などが基地内に整然と保管されている様子が良く見える。






美術館の玄関口
佐喜眞美術館屋上から
宜野湾市にある佐喜眞美術館は「沖縄戦の図」(丸木伊理、丸木俊)が常設展示されておりここにも高校生らがバスを連ねて見学に来ていた。建屋の屋上からは米軍普天間基地が見渡せる。









普天間基地へその1
普天間基地へその2
同じく宜野湾市の嘉数高台公園からは米軍用機が普天間基地に着陸する様子が見学出来る。住宅密集地に飛び込むように飛行機が降下していく様子が良く解かる。住宅地へ飛び込んでいく感じが実感できた。




辺野古の海とフェンス
ヘリ基地建設阻止協議会の看板
名護市の辺野古の海を見てきた。とてもきれいな沖縄の海だった。しかし、浜辺にはフェンスがあり、辺野古の埋め立てに抗議文が張り出されていた。ここを埋め立てるなどまさに自然破壊ではないかと思いつつ海をながめた。本日1月19日は名護市長選の投票日です。日本中に埋め立てノーの毅然とした名護市民の意志を示してほしい。祈るような気持ちで書いています。

2014-01-16

明や清国と琉球王国の歴史ー沖縄の旅②

首里城の守礼門
沖縄の那覇空港について友人Wさんにまず案内されたのは首里城です。首里城は14世紀末に造られた琉球独自の様式を持った城です。琉球王国の歴史は長く、14世紀は中国は明の時代、日本では南北朝時代にまでさかのぼる必要があるとのことです。中国からの使者を受け入れるにあたって門構えや場内のつくりに様々な工夫がなされているとのことです。守礼門には琉球王国は礼儀を重んじる国であるとの趣旨が書き出されています。中国大陸との友好を重んじた歴史を感じさせます。この首里城は世界遺産に指定された沖縄の城(グスク)の一つです



識名園の池
玉陵
他国からの使者を迎えるための工夫は、1799年に造られた識名園という琉球王家の別邸にも見受けられます。狭い敷地にも関わらず道順に工夫を凝らして、来訪者を楽しませるつくりになっています。すなわち、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむ廻遊式庭園と言われるそうです。この識名園も世界遺産に指定されています。
1501年に建てられた琉球王家の墓である玉陵(たまうどぅん)を訪ねました。ここも世界遺産に指定されています。

これらの世界遺産は第二次世界大戦の沖縄戦で大変な被害を蒙りました。それらを戦後に多大な費用と歳月を投入して修復しています。首里城は今も修復作業が続いていました。これらの世界遺産を訪問して感じることは沖縄は14世紀の昔から大陸中国との友好を重んじ、歴史を積み上げてきたという事実です。沖縄の今を考えるにあたり、どうしても省けない大切なことがらと思います。

2014-01-15

美ら海に惹かれてー沖縄の旅①

2014年が明けて早くも1月15日となりました。今年は埼玉県さいたま市大宮の氷川神社でお参りをして、戦争をしない国、日本の良さをさらに周りに知らせていきたいと念じました。しかし、実際のところは年金生活者の身、周りに発言するような機会に恵まれることはなく、「あたらしい憲法のはなし」(復刻版)、品川正治さんの「激突の時代 人間の眼VS.国家の眼」(新日本出版社)、「戦後歴程 平和憲法を持つ国の経済人として」(岩波書店)などを読んで静かに過ごしています。

そんななか、日本国内に眼をむけると沖縄県名護市の市長選挙と首都東京での都知事選挙とが予定されています。私はこれらが2014年初頭での大きな政治選択と感じています。日本における米軍基地の存在をどう考えるのか、また、原発を巡る日本のエネルギー政策などはどう考えるべきか、日本国憲法そのものが直接の争点となってはいないが、私たちの子や孫の世代以降にどんな日本を残せるのかという分岐点になるときを迎えていると思うからです。

さて私は昨年12月に若いときからの友人Wさんの案内で沖縄県の各所を訪ねました。県外者からの短い滞在での感想に過ぎませんが、沖縄県で見たことを何回かに分けて書きたいと思います。
その①美ら海に惹かれて
美ら海水族館のジンベエザメ
海洋博公園からの東シナ海
沖縄本島の中部には沖縄海洋博を契機に整備された海洋博公園があります。何と言っても沖縄の海そのものの美しさが見事でした。その中に美ら海水族館があり、ジンベエザメやマンタなどが悠々と回遊するさまが見られました。



私が最も驚いたことはこれらの施設に全国各地からの修学旅行の生徒達が大型バスを何台も連ねたり、生徒たちが4~5人の小グループに分かれてタクシーに分乗して駆けつけていたことです。また、海外からの観光客もとてもたくさん見受けられました。沖縄県と台湾は距離的に近い位置にあることも知ることできました。水族館への入館料は大人1800円とそれなりの値段でしたが、実に数多くの入館者が次々と訪れているとの感想をもちました。この観光資源は沖縄県の宝になるのではと思いました。





2014-01-04

穏やかな三箇日と2014年への想い

 
2014年元旦さいたま市大宮氷川神社

素晴らしい新年となりました。関東地方は天候にも恵まれ、我が家は元旦から洗濯やら布団干しと久しぶりの子供らの里帰りを迎える準備をしました。今年の初詣先、埼玉県さいたま市の大宮氷川神社の賑わいぶりは例年を上回るようだと感じました。私のお賽銭額は例年通りでしたが、次々と押し寄せる人波に押されながらも、肩車に背負った孫の世代の平和維持を想ったのです。

 


 
沖縄県伊江島の反戦平和資料館
俄かの神頼みならぬ65歳の想いは、昨今の日本的政治状況に由ります。昨年の12月5日に私は42年ぶりに沖縄県を訪問しました。羽田から那覇空港に到着し、沖縄県庁付近の国際通りで特定秘密保護法に反対する抗議の声を聞きました。12月9日まで沖縄に滞在し、平和記念公園や沖縄美ら海水族館、各地の基地や辺野古の海、伊江島などを沖縄在住の友人に案内してもらいました。私には本当に久しぶりの沖縄訪問でしたが、20代に訪ねた時に聞いた「沖縄戦と米国占領下の話」がそれから40年以上を経ても、なお風化せずにそこにあると感じました。

 

 また、沖縄県滞在中に私が2013年の3月までの一年間に渡り、滞在した南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の逝去を知りました。1994年に反アパルトヘイトの運動から南アフリカ共和国で全人種参加の選挙制度を実現し、憲法を整え、虹の国と称される新しい国家へと歩みだした際の指導者です。私は南ア滞在中にかの国の子供たちが、おそらく教育の一環として見学するいくつかの資料館や記念館を訪問したことを思い起こしました。そこにはネルソン・マンデラさんのようには知られた存在ではないが、ともに戦った人々の行いが記されていました。

 私ら団塊世代はとにもかくにも日本国憲法の下で力いっぱい生きてきました。そして第二次世界大戦以降の戦争をこれまでは直接経験することはありませんでした。この幸運を子供や孫の世代にも引き継いでもらいたいとの切なる想いがあります。私は我が国の政治的指導者は恒久平和を希求する日本国憲法の精神を内外に喧伝することでネルソン・マンデラさんのように人種を超えて尊敬を得ることが可能だと考え、2014年をそのような道筋を掲げて少しでも努力したと言える年度にしたいと思います。