2014年7月12日付け讀賣新聞13面で特別編集委員の肩書で橋本五郎氏が「政治の原点を考える」とのタイトルで論じている。そこには「五郎ワールド」と自らの写真を載せ、「政治記者をめざす君へ」と呼びかけて物事を考える場合の『原則』は何かということに常に思いを馳せる習慣を身に付けることですと言い、例えば今政治的に一番ホットな問題は集団的自衛権ですと展開した。
~限定的にせよ行使を認めるべきかどうかについては賛否両論ありうるでしょう。でも、随分おかしな議論が横行しているように思います。おかしな議論のその一は、憲法解釈を変えるのは「立憲主義」に反するという主張ですとし、これまでは自衛隊は違憲であると多くの憲法学者が「自衛隊合憲論」を唱える内閣法制局を「三百代言」と攻撃してきたのに、今や内閣法制局OBと一緒になって憲法解釈を変えるなと言っているのです。
おかしな議論のその二は、解釈を変えるなら憲法を改正すべきだという主張です。改憲論者が言うならわかります。でも憲法改正に反対し、国民の大事な権利である国民投票法にさえ反対してきた人が言うのは変です。憲法改正なんかできないと思っているから言っているとしか考えられないのです。その時々で自分に都合のいいように主張するのを「ダブルスタンダード(二重基準)」と言います。要するに一貫性がないということです。~ここまでの引用は、新聞記事のなかで私、藤原一也が気になった部分です。
私、藤原一也は政治記者は目指していません。あるいは目指しても成り得ない年齢の者ですが、この橋本五郎氏の論建ては「すり替え」があると思います。第一の議論で言えば、憲法解釈を変えるのは「立憲主義」に反すると誰が言っているのでしょうか?少なくとも憲法施行以来、67年間は警察予備隊にしろ自衛隊にしろ、国内外で戦争をして来なかったし、特に個別的自衛権は憲法上許されるが集団的自衛権は日本国憲法の解釈としては認められないとしてきたものを現政権与党の安倍内閣が勝手に180度解釈を変更したのではなかったか?私は安倍内閣の独断、暴走に対して立憲主義を壊すなと言っているのです。日本国憲法は我々国民のものであり、それを手掛かりに強大な権力を有する内閣などに縛りをかけるのが立憲主義の肝の部分ではないのか。
第二の議論でも「すり替え」があります。私は政権与党が勝手に憲法解釈を変えていいのか、もっとまじめに国民に問題提起をしろと言いたい。私たち国民がいつ、海外で日本の若者が戦争して人を殺したり、殺されたりしても良いとそれを時の政権の判断に委ねますとOKサインを出しましたか?国政選挙ではたしてそんなことが政党の選挙公約として表明されていましたか?改憲論者の安倍晋三氏が憲法改正なんかできないと思っているから「解釈改憲」と言う姑息な手段使ったのではないのか?私は安倍政権はこの後、集団的自衛権使用に向けて各種法律の変更を進め、次には勢いで日本国憲法の改正を狙てくると思います。それは憲法条文がそのままでは何しろ使い勝手が悪そうですから。私はその時々の政治情勢には常に危機感を持って臨みたい。戦争を二度とさせないとの崇高な理念のもとに策定された日本国憲法を大切に思い、それを守ろう、より良いものにしようとすることは決してダブルスタンダードではない。