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2015-04-25

悠々楽山会にて石割山(1,413m)へ

山中湖付近からの富士山
石割山登山口
4月20日に悠々楽山会で山梨県の石割山(1,413m)に登った。天気予報は雨。しかし、午前6時から埼玉県を出発した効果で山中湖付近からの大きな富士山は眺めることが出来た。そして、何とか正午頃までは天候が曇り空で推移した。








階段に現れた蛙
石割山頂上
石割山登山口は400段の石段が続いて、体力のない私にはとてもきつかった。そして、石段の途中に大きな蛙が現れた。もしかして雨の前兆かと私には思われた。予感通りにその後、雨脚が徐々に強まってきた。




頂上にいたるまでに大きな雷音?が何度も響き渡った。雷と思っていたが、実は私たちは北富士演習場の近くに来ていたようで、雷ではなく演習音ということだった。

昨今の安倍内閣による安保法制(戦争法制)準備のことが、突如頭をよぎり、山歩き中も心から楽しむことは出来なかった。あっという間に大変な時代と事態に直面している。私にはとても黙ってみすごすわけにはいかない時代となった。


2015-04-07

統一地方選の始まりと母(90歳)

(期日前投票所の母)
4月6日は統一地方選がが告示されて3日目です。今回の選挙は私にとって大事な選挙です。安倍内閣による集団的自衛権の閣議決定を経て、いよいよ戦争のための法案が着々と準備されている最中です。安倍総理は憲法が変わっていないのに自衛隊のことを「我が軍」と表現しました。何かとてつもない危なさを感じます。日本国憲法の平和主義はいったいどこに行ってしまうのでしょうか?

私はこの統一地方選の期日前投票を行うにあたり、改めて戦争体験者である母から戦争前後の話をしてもらいました。北海道の稚内市での女学校時代、稚内市曲淵や幌延町や豊富町での教師や鉄道事務員などの仕事を通じての経験から、戦争になると戦地の兵隊だけではなく、日本に残された庶民の生活も激変したとのこと。

同年代の男性が自分の身近なところから次々と兵隊に召集されていなくなる。物資が不足に陥り、食べ物も配給制となってしまった。戦争が終わって、食べ物はいよいよ不足した。自分の身近なところで飛行場整備の仕事で数多くの朝鮮人が働らいていた。出張先の札幌市で戦闘機による機銃掃射を経験したなど思いだせば「戦争ほどいやなものはない」とのことです。

日本国憲法の下で平和な時代を生きてきた私には、すぐには想像の及ばない話もありましたが、概ね戦争は何としても阻止しなくてはいけないとの思いは共有することが出来ました。天候に恵まれましたので、私と一緒にゆっくりと歩いて、期日前投票所に出向き、統一地方選の投票(前半分)を終えることが出来ました。私と母の投票の判断基準は、地方選挙とは言え国会での戦争法論議が控えていることから、日本国憲法9条をきちんと踏まえて、戦争に反対出来る政党の候補者を選ぶということです。

2015-04-02

国民的共同について(連帯・共同21)

(連帯・共同21)
2015年4月1日から日本では年度替わりとなりました。この機会に私も共同代表の一人になっているウエブサイト「連帯・共同21」の特集、『国民的共同をめざして』の議論が始まりました。

私は「安倍政権NO!0322大行動」に参加した経験を取り纏めて投稿しました。戦後70年の節目、今こそ私のような普通の人が声をあげなくてはとの思いです。

以下にリンク先を記入しました。皆さんにも是非、投稿して頂きたいと思います。よろしくお願いします。

連帯・共同21で検索お願いします。 (http://rentai21.com)