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2013-11-20

屯田兵の開拓した故郷名寄、東京なよろ会での活動

名寄市加藤市長
MMCATの演奏
2013年11月10日に東京千代田区のアルカディア市ヶ谷にて「東京なよろ会総会・懇親会」が開催されました。この会は『会員相互の親睦・交流・情報の交換を図るとともに、その共通する郷土愛のもとに、名寄市の繁栄に寄与することを目的とする』としています。


この会員は東京都とその周辺地域に居住する名寄市出身者やかって名寄市に住んだことがあったり、名寄市にゆかりのある者とされ約500人規模の会員で構成されています。私はこの会の事務局を担っています。冬のスキーツアー(200名規模/年)や夏のゴルフツアー(40名規模/年)などの地元訪問活動に加え節目ごとの記念誌や地元への記念植樹(桜)、東京杉並区との連携を柱にしたふる里産品(アスパラガス、とうもろこし、ひまわり油、もち米・うるち米、ジンギスカンなど)の紹介援助の取組など多彩なボランティア活動になっています。

私は北海道の豊富町で生まれました。1948年のことです。4歳の時から北海道剣淵町、12歳から北海道名寄市、18歳から北海道札幌市に住みました。そして、25歳で就職のために東京都中野区中野に移り住み、それ以来、関東周辺の渋谷区代々木、埼玉県大宮市、千葉県市川市、埼玉県浦和市、埼玉県川口市と65年間で10ケ所の地域に住みました。最も長期間の居住体験は埼玉県川口市の30年間となっています。

このような経過で何故、名寄市という北海道の片田舎の町を「ふるさと」と感じているのか、自分でも不思議なことと思いますが、多分、中学生~高校生という多感な時代を過ごしたからではと推測しています。もう一つは自分の4世代前の先祖が名寄に入植したからかも知れません。亡くなった私の爺さんばあさんから少しだけ屯田兵のいた時代の名寄について聞いたことがあります。

しかし、私がこのような気持ちで参加している「東京なよろ会」という故郷を思いつなぐ活動も会員の高齢化はどんどん進みます。一回り若い世代に何とかバトンタッチしていかなければと思います。


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