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2012-10-06

オールド ビスケット ミル(The Old Biscuit Mill)

オールド ビスケット ミル
花卉も販売

ケープタウンのウッドストック地区に「オールド ビスケット ミル」という、昔は工場や倉庫だった場所にクリエイティブなデザイナーなどが自らの作品を展示していたのが、今はお洒落な衣料品、家具、食器、レストランなどが多様に展開されるユニークな商店街・レストラン街を形成しています。




各種チーズを取り揃え
野菜果物も豊富
土曜日には早朝9:00から市場が立ち、生鮮品の農産品、花卉、食肉、魚、さらに畜産加工品、乳製品、ビールなどが販売されます。これを目当てにケープタウンの中心部からも続々と人が押し寄せ、駐車スペースの確保にひと苦労します。地元の生産者が粒ぞろいの製品を持ち寄ることから評判を呼び、知る人ぞ知るの観光名所にもなっています。


簡易食堂も設置

美味しいパンとハム
 私も9月の土曜日に、ここに朝早くから出かけ、チーズやパン、野菜、魚加工品に加えて私の好きな、ウインドックビールの工場直送の生ビールを2リットル仕入れました。そしてチーズとハムを販売している店でサンドイッチを頼み、隣の店の挽きたてコーヒーで軽い朝食をとりました。価格帯もそれぞれ適切で庶民の味方と言った雰囲気です。

ここを訪ねると何か日本の市場に共通するような生産者・販売者と消費者の連帯のような高揚感がわいてきますが、ここに購入のために訪れる消費者は安定的に収入のある、少しだけお金が入っている人たちと言えるかもしれません。

2012-10-05

ケープタウンのボカープ地区(Bo Kaap ,City Bowl)

建物の壁はとてもカラフル


この地区のイスラム教会
ケープタウンのボカープ地区は建物の色彩がとても豊かです。家々の壁がピンク、オレンジ、グリーン、空色と様々に塗り分けられています。この地区はケープタウンの中心部に近く、説明がなければなかなか気が付かないのですが、かって18世紀にオランダ人が各地(アフリカ、インド、スリランカ、マレーシア、インドネシアなど)から連れて来た奴隷たちの子孫が住んでいた地区です。今はマレークオータとして知られ、住民の9割のイスラム教の影響下にあると言われます。歴史のあるイスラム教会があり、この地区で昔からある建物を改装して博物館としてこの地区の独自の歴史を紹介しています。

コーヒーショップ

「haas]ウサギの意味

店内にはうさぎ?の置物も

今回は語学学校の戸外授業としてボカープ地区を訪ねました。歴史の豊かな街並みですが、とても美味しいコーヒーを飲ます店も繁盛しています。アフリカーンス語で「Haas」とはウサギの意味だそうです。店内はお洒落に飾られ、挽きたてのコーヒーは納得のいく味わいで15ランド(150円)と適正価格でした。チーズマフィン33ランド(330円)もとても美味しいものでした。再度行ってみたいお店です。



ボカーブ博物館

アパルトヘイト時代の展示物
 私たちはボカープ博物館にも足を運びました。入場料は語学学校の生徒なので5ランド(50円)でした。博物館にはこの地区がいわゆる職人が多く住んでいたとのことから、魚売りの呼子とか馬車の荷台、マレー帽の型など珍しい道具に加えて、この地区でのアパルトヘイトの歴史などが取りまとめて展示されていました。スレイブロッジやユダヤ博物館とはまた異なる趣のある博物館として勉強になりました。


帽子の型








2012-10-04

ビクトリア・フォールズと関連諸国その3(Victoria Falls-3)

リビングストンの立像

リビングストン像の近くから見えた虹

ビクトリア・フォールズはジンバブエ側とザンビア側から見ることが出来ます。1855年に英国の探検家リビングストンがこの地域を探検し、巨大な滝を発見して自国のビクトリア女王の名前を冠したのです。ザンビアにはこの探検家の名前を借りたリビングストンがあり、観光拠点になっています。また、この探検家の立像が滝を見下ろすようにジンバブエ側に建立されています。



ザンベジ川の国境をまたぐ橋

もうすぐ国境
 もともとザンビアは北ローデシアとして英国の保護領や植民地となり、その後ローデシア・ニアサランド連邦(現ザンビア・ジンバブエ・マラウイ)に組み込まれ、1964年に独立しています。このような経過からザンビアとジンバブエはビクトリア・フォールズ近辺に国境を有しています。ザンベジ川にかかる橋を渡るとまさにジンバブエとザンビアの国境を超えることになります。私はこの橋を渡ってみることにしました。徒歩で故郷を超えるということは今の日本では出来ない経験ですので…。

さて、そのためにはパスポートを持って渡航証を発行してもらう必要があり、パスポートにはザンビア側に立ち寄ったとのスタンプが押されました。しかし、ザンビア側に入ることは、この国が黄熱病対応国であることから、南アに戻った時に黄熱病対策の証明を求められる場合があるので少しばかり面倒さを感じてしまいました。

ザンベジ川に沈む夕陽
別の日にはジンバブエ側でザンベジ川の夕陽を見るクルーズに参加しました。大きな赤い太陽が沈む様子は見応えがありました。この時も川の向こうはザンビアでこちらはジンバブエだなどの説明がありました。動物は川を渡りますので国境は関係なく、動物保護の政策が国によって違うので、個体数の少なくなっている種の保護はなかなか大変なようです。改めて、アフリカ諸国の国境線を地図で眺めてみるとその不可思議さ、そのように線引きされたこの大陸の歴史などを感じ取ることが出来ます。

2012-10-02

ヴィクトリア・フォールズと関連諸国その2(Victoria Falls-2)


ヴィクトリア・フォールズはザンビアとジンバブエの2カ国にまたがっています。そして、そこからさほど遠くない(60km)ところにボツワナのチョベ国立公園が広がっています。ヴィクトリア・フォールズからは早朝出発の日帰りでチョベの野生動物を観察するツアーがあります。南部アフリカで最も豊かな国と言われるボツワナと経済が破たんしているジンバブエとの違いを様々に感じさせました。



ザンベジ川を渡る象
ザンベジ川の象の群れ
①ザンベジ川というアフリカ大陸で4番目の長さを誇り、6つの国を通過するこの大河をボツワナ側ではボートツアーとトラックツアーを上手に組み合わせて、観光客を魅了しています。ここは象の個体数が最も多いところとして知られ、ザンベジ川周辺で何百頭もの個体を見ることが出来ます。特に大きな像が先頭としんがりを務め、子象を保護しながら川を泳いで渡る様子は楽しかった。

中洲で動かないワニ
インパラと象
②象にとどまらずカバがいたるところに群れを成しています。また、岸辺には大きなワニがごろごろしています。何種類もの水鳥が飛来して魚を狙っている様子や巨大な中洲にはサイ、水牛、インパラ、シマウマ、ウオーターバッグなどが草をはむ姿が見られます。とても広大な地域を国立公園にして動物を保護する政策をとったボツアナが観光客をこれまで以上に呼び込むことが出来ると思います。ジンバブエとボツアナの比較ですが、ビクトリア・フォールズは存在するそれだけで価値のあるものですが周辺の観光資源を活かしきっていないと感じました。


ボツワナでの食事
 ③私はジンバブエに宿泊して食事等は主にジンバブエでしたが、チョベのツアーの際は昼食をボツワナで摂りました。食事の内容を比較するといずれも観光地ではありますが、ボツワナの食事が勝っていました。お値段はさほど変わらないわけですが、食材の違いを感じさせました。これもかっての農業優等国ジンバブエの落ち込みぶりが目につきます。

④ボツワナは独立後にダイヤモンドなどの鉱物資源が発見されたこともあり、経済発展が順調に進み、アフリカ諸国のなかでも最も豊かな国に位置しています。農業も牛や羊の畜産が盛んで、食肉をヨーロッパに輸出しています。入国の際も動物の口蹄疫対策などが意識されていました。

⑤ボツワナは独立以来複数政党制を維持し、民主主義が機能している国と言われます。こんなところも、いわゆる白人農場主を一方的に追い落とす政策をとった隣国ジンバブエとの大きな違いとして感じました。そして南アとの比較もしてみたいと思ったことです。

2012-10-01

ビクトリア・フォールズと関連諸国(Victoria Falls)

ビクトリア瀑布①
ビクトリア瀑布②
藤原一也の南アフリカレポートをご覧くださっている皆様、この一週間はブログへの書き込みをお休みしていました。その理由は先週の六日間、ビクトリア・フォールズを訪ねて、ジンバブエとボツワナとザンビアという南アフリカ以外の国に足を踏み入れ、何カ所かを観光していたことによります。

ジンバブエ・ザンビアにはヴィクトリア・フォールズ(瀑布)というアメリカ・カナダのナイアガラ瀑布、アルゼンチン・ブラジルのイグアス瀑布に並び称される世界の三大瀑布の一つがあり、数多くの観光客が一年中押し寄せます。今回、私もジンバブエ側からこの有名な滝を見たわけですが、同時にボツワナのチョベ国立公園を日帰りのバスツアーで訪ねました。世界一の象の生息数を誇り、それほど苦労しなくてもアフリカの野生動物を数多く観察できることで知られています。実際にザンベジ川を船で移動しながら、また地上から車で移動しながら信じられない数の象など野生動物を観察することが出来ました。

観光が目的でしたが、結果的に南アフリカ以外の国に初めて足を踏み入れることになりました。このブログを開始してから、ケープタウン周辺の事情をお知らせしてきましたが、今回、ケープタウンに戻って来て、改めてここは近隣の南部アフリカ諸国のなかでも特別の地域であるとの感想を深めました。

2億5千万ジンバブエドル紙幣など(表)


2億5千万ジンバブエドル紙幣など(裏)
 最初に今回の旅の起点にしたビクトリア・フォールズのあるジンバブエについての感想です。折角、世界的な名所を持っているにもかかわらず、十分には活用しきれていないと感じました。


①ジンバブエの水はそのままでは飲めません。十分に殺菌された水道水ではないからです。また、渡航に際してマラリア対策の薬を出発の前日から飲み始め、南アに帰って、さらに六日間飲み続ける予定です。虫よけスプレーなどを持っていきましたが蚊に刺されることを防ぐことは出来ません。マラリアがまだこの国で発生していることから観光客も対策を迫られます。
②ビクトリア・フォールズ近辺を散歩するとジンバブエの若者が動物の置物や自国紙幣を持ってうるさいほどに声を掛けてきます。実はジンバブエ経済は殆ど破たんしており、自国紙幣として、かって国が刷り上げた2億5千万ジンバブエドル紙幣などを買ってくださいというわけです。米国ドルか南アランドが通貨として使えますので1米国ドルか10ランド南ア紙幣で良いからと囁いてきます。米国ドルが強いのには驚きました。そして、「自国のお金をこのように扱う」ことの、一抹の切なさが漂います。
③そしてこの国の代表であるロバート・ムガベ氏は1980年から首相、大統領として30年以上にわたりこのジンバブエに君臨しています。宿泊したホテルにもその肖像が飾られていました。

2012-09-23

南アの鉱山労働者への警官隊の発砲その4(Police shootings at mine in South Africa)

 一カ月以上を経たマリカナの警官隊による発砲事件の経過ですが、本日9月22日の時点でズマ大統領の発足させた委員会からの報告は出ていません。この藤原一也の南アフリカレポートで「南アの鉱山労働者への警官隊の発砲その3」で(31.08.2012)書き込んだ内容についての新たな事実の確認はほとんどありませんが、この事件の底の深さを見せつけるように、政治的な側面からの南アの人物や団体の動きが連日新聞・ラジオ・テレビなどで報道されています。この時点での私のメモとして報道されたことのいくつかを時系列で書き込んでみます。

①8月31日に各紙が「270人の鉱山労働者が殺人の罪で一斉に告訴される」と書きました。地元のCape Tims紙は見出しが「COMMON PURPOSE' INVOKED Miners chargeed with murder」で、記事中に 「~Ga-Rankuwa Magistrate's Court building to hear what the State's new charge sheet~」との記述があります。

②9月3日には各紙が「鉱山労働者の告訴は保留された」と書きました。地元のCape Tims紙は見出しが「NPA BACKTRACKS ON MURDER ACCUSATION Charges dropped against miners」で、記事中に「~The National Prosecuting Ausority(NPA) has announced that it is provisonally withdrawing murder  charges against 270 Lonmin mineworkers ~」と続けました。

③9月4日には地元紙が拘留されていたロンミンの鉱山労働者が第一陣として161人が釈放されたことを報道しました。地元のCape Tims紙は「Released miners claim they were chased, shot by police」と見出しをつけ、「We saw the TV footage, but most things were not there」と労働者の訴えを続けて書きました。9月3日以降から拘留されていたロンミンの鉱山労働者の釈放が続きました。そして、これらの拘留された270人の動向に係わらずロンミンプラチナ鉱山のストライキは続けられました。

④9月6日にはロンミンの鉱山労働者の代表とコサツ、NUMとの間で平和合意(Peace Acord)が取り交わされましたが、Amcuは合意せずに署名を拒否しました。この平和合意にも係わらず、その後もロンミンの鉱山労働者によるストライキは続きました。

⑤9月18日にはロンミンの鉱山労働者側と会社側の合意が成立し平均で22%の賃上げが実現することになりました。地元のCape Times紙は19日に「Lonmin sees light, but mines in trouble   Strikers cheer 22% offer」と書きました。例えば、ドリラー(Rock drill oprator)は平均で9063ランド(90630円)だった給与が1875ランド(1875円)増加し、10938ランド(109380円)になるというわけです。

⑥およそ一か月間の攻防を経て、マリカナでの事態は収束に向かっているかに見えますが、このレポート「南アの鉱山労働者への警官隊の発砲その3(8月31日)」で書いたいくつかの疑問はズマ大統領が指示した「Judicial commission」の報告が出されていないことから、解明されないままです。私は賃金をめぐる労使の交渉は一区切りついたとしても、34人が亡くなり、78人が傷ついた警官隊の発砲事件そのものはまだ何も解決していないとみています。引き続きこの課題での社会の動きをウオッチングして、判ったことを報告して行きたいと思います。



2012-09-21

フランス領レユニオンのダニエラ(Danielle from Reunion )

クリストロ先生とダニエラ(卒業式)
 

 語学学校には様々な生徒がいます。フランス領レユニオンという私が初めて聞いた地名の島から(マダガスカルの東方に位置して、モーリシャスも近いところにあります)ダニエラが来ていました。彼女はもとはフランス本土で育ったのですが、結婚後にレユニオンに渡り、長く社会福祉にも関わりながら2人の子供を育てあげました。


ダニエラと一緒に(I.H語学学校)
 
彼女はすでに熟年の域に達してから、自らハンディカメラを担いでドキュメント映画制作に取り組むようになりした。このケープタウンに来ている理由は、次の作品(女性の海洋生物学者の物語)の構想を練り上げ実現させるためだとのことです。この作品に不可欠な関係者が英語を第一言語にしているので、自分は英語を学ばなければならないとのことです。

 さて、そのダニエラの最新作は「L' ecole des hauts」というタイトルです。レユニオンの都市部から約3時間半を掛けて歩き続けなければたどり着かない、人里離れた地域の山の分校のアン教師と10人の生徒の物語です。この作品のためにダニエラは山の分校に通い、作品の主人公たちの理解を得、子供たちの親たちとも話しながら撮影を続け、完成までに3年間を費やしました。


ダニエラの作品(DVD)
  フランス語の作品なのですが、語学学校の教師のクリストロ先生がダニエラの用意したフランス語のシナリオを英語訳して配り、授業中に皆でDVDを鑑賞しました。フランス語の全く判らない私が、この作品に写し取られたレユニオンの自然と先生と子供たちの純粋な交流の場面に引き込まれました。少し持ち上げすぎなのですが、日本の壺井栄原作、木下恵介監督作品の「二十四の瞳」を想起させる画面があり見ていて感動してしまいました。

 

食卓①
食卓②
このご縁でダニエラを自宅に招き夕食をともにしました。彼女の次の作品への思いや、生き方を知るにつけ、人間の可能性って尽きることがないなと思いました。元気なダニエラに乾杯!