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ガンジー像 |
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平和と正義のモニュメント |
南アフリカ共和国のクワズル・ナタール州にはインド系住民のタウンシップ内にガンジーを記念する平和と正義のモニュメントがあります。インド建国の父とも言われるマハトマ・ガンジーは1893年から1915年までここ南アフリカ21年間にわたり非暴力・不服従の「サティヤーグラハ」の運動を取組みました。
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現在発行中のサティヤグラハ紙 |
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館内展示のサティヤグラハ紙 |
その後インドに帰って建国運動のリーダーとなりインド独立を実現させるのですが、南アでの様々な経験が生かされたのは間違いないことでしょう。ガンジは1894年にナタール・インド人会議を設立し、1903年には「インターナショナル・プリンティング・プレス」を創りました。
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モニュメントからの眺め |
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瞑想の場 |
このモニュメントはタウンシップの入口付近にある様子です。すぐ近くに学校が併設され、そこから延々と家並みが続いています。また、ここにはガンジーが実際に使っていた机や椅子が展示されいくつかの言葉が記されています。そして瞑想の場も設置されています。
今回、若きマハトマ・ガンジーの南アにおける成長と後に母国インドで展開した建国運動に生かされた「サティヤグラハ」の信念について学ぶことが出来ました。しかし、私はこのモニュメントとそのすぐ後に見学したANCの初代党首ドゥーベを記念する施設を比較しながら、世界の歴史的リーダーマハトマ・ガンジーについてより丁寧に説明出来る施設に改善すべきではと感じました。1948年にアパルトヘイトの法体制が確立するさらに前の時代に、21年間の長きにわたり南アフリカの貧しいものたちとともに自らたたかってきたことの評価がさらに高まっても良いのではないかとの思いです。
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