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オーランジ高校生 |
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オーランジ高校生 |
南アフリカ共和国では1994年に全人種参加による歴史的な総選挙が行われました。ネルソン・マンデラさんはこの総選挙で政党ANC(アフリカ民族会議)を率いて党首としてここの投票所に足を運び、一票を投じました。
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ドゥーベさんの娘(ルルさん) |
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初代ANC党首のドゥーベさん |
自ら選んだ投票所はダーバンの北に位置したイナンダのタウンシップにあるオーランジ高校でした。ここにはANCの初代代表のジョー・ドゥーベさんが葬られているお墓があります。私は2月11日ここを訪ねたのですが、ドゥーベさんの命日ということで彼の娘(ルルさん)やオーランジ高校の生徒約800人が墓参りに訪れていました。
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オーランジ高校の記念館 |
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この施設の解説担当者 |
私は現在のANC党首のズマさんのいくつかの振る舞いには疑問があるのですが、イナンダのタウンシップで高校生たちが初代ANC党首の墓参りをしているのを実際に見て、別の何かを感じ取ることが出来ました。また、その高校の投票所でネルソン・マンデラさんが行ったことの記録が展示されていました。
「LONG WALK TO FREEDOM」にも書かれていることなのですが、オリバー・タンボやクリス・ハニやチーフ・ルスリーやブラム・フィッシャーなどの友人たちを思い浮かべながら生まれて初めての投票を行ったことなどが記されています。遡って1962年8月に逮捕され、1964年に国家反逆罪終身刑でロベン島に送られてから1990年に解放されるまでの長きにわたる牢獄内の戦いだったわけですが、そのマンデラさんが逮捕された道路も今回案内されました。ANCについては新聞などで大きく取り上げられていることと併せて、そのの取り組みの歴史や現在の地域での地道な積み上げにも着目しなければならないと思いました。
本日より、ナディン・ゴーディマの本を読み始めました。その中に、ブラム・フィッシャーをモデルとした箇所があり、検索していましたら、このページに出会いました。訳者は、アパルトヘイトの犠牲になった、「聖家族」と読んでいますが、どんなかただったのでしょう。ずうずうしくも、まったく面識のない、藤原さん、情報があったらお知らせください。素晴らしい命の洗濯を楽しんでください。
返信削除コメントありがとうございます。ブラム・フィッシャーさんについてはLong Walk to Freedom でも何度も登場します。有名なリボーニア裁判でも弁護に力を発揮した様です。彼の妻のモリーさんにつても書かれています。マンデラさんの若い頃からの友人でもあり終生の友としての短くも深い人間関係だったのではないでしょうか?
返信削除藤原様
削除休暇中にもかかわらず、返信ありがとうございました。質問一ついいですか?
休暇がどうして南アフリカだったのですか?
私はすでに年金生活の身です。ですから、休暇という言葉は馴染みません。南アはたまたまこうなったと言うことですが、暮らしてみてあまりにも沢山の出来事と歴史にふれて興味深い国であることを実感しています。
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