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2012-04-22

From the Rainbow Nation to Japan(虹の国から)


大きな虹

沈む夕日
 南アフリカ共和国はアフリカ大陸の最南端にあり国土面積は日本の3.2倍(122万k㎡)、ケープタウンのある南部はヨーロッパの気候に似ています。そのため葡萄や様々の果物が豊かに生産されています。この地にはアフリカ諸民族が部族ごとに暮らしていたのが17世紀に香辛料を求めてオランダ東インド会社が喜望峰を航海の中継基地として使用したことから、ケープ植民地が開拓されオランダ人の移民が拡大しました。
 
その後、英国人もケープタウンを中心に移民が定住し、英国系とオランダ系の移民間の対立の時代がありました。

 さらに、現在のジョハネスブルグ近辺で金とダイヤモンドが発見され、19世紀のゴールードラッシュが始まりましたが、そのことが契機となって英国とオランダ移民の自治国との間に戦争が勃発し、英国が勝利しました。1910年には自治国は南アフリカ連邦として独立します。英仏の抗争は一段落しましたが、その後さらに、鉱山労働者に生じた黒人差別が始まり、1949年に国民党が政権を確立して「アパルトヘイト」政策を実施します。
 
1994年の全人種参加の総選挙による黒人初のマンデラ大統領の誕生まで45年間、国際社会から「人類の人類による犯罪」と非難された政策が継続されたのです。この間、様々な抵抗の運動が起こり、それに対する弾圧も行われました。ネルソン・マンデラさんが27年間を獄中に過ごしたことはよく知られています。こうした経過から南アフリカ共和国には黒人、白人、カラード(混血)、アジア系などの様々な人種が混在して暮らしており、この多様性を象徴して「Rainbow Nation」と呼ばれているのです。そんなことから私が到着した翌日の朝日に大きな虹が立ったことを感動を持って受け止めました。

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